奥山陽一のコラム

2012/05/26

再び福島へ

 

昨年と同じ日に再び福島に飛んだ。

昨年と同じいわきの海岸線を歩いた。

 

不思議なもので方向音痴な私だけど昨年撮影した場所だけは迷う事無く走る事が出来た。

 

一年経ったいわきの海岸線は瓦礫が撤去され、崩れ落ちた家の殆どはコンクリの基礎を残すだけとなっていた。



 

 

 

荒れた土地には雑草が生え放置された状態の場所が多く、撤去された瓦礫は行き場を失くしあちこちに山積みにされていた。

 

 

今回は小名浜港、豊間、四倉、久ノ浜、そして昨年警察に追い返された原発ギリギリ立ち入り禁止の場所、そして士別と交流のある川内村を歩いた。

 その様子を何時もの如くブログに書いていきます。

 

 

5月22日最終便で福島空港に到着。

 

いわき駅までバスで移動。

駅まで1時間の道のりを申し訳ない事に乗車したのは私一人だけ。

運転手さんから色々話を聞かせて頂いた。

 

3.11の日はTVでも紹介されたりして聞いたことがあると思うがスパリゾートハワイアンズから15時発予定で東京に向けて120人のお客さんを運ぶ為に準備をしているところで震災にあったとの事だった。

いわきの山側にある施設の為に震災直後から電話も不通、電気も水道も全てを失いその日の夜中まで津波の事すら知らない状態で一体何が起こっているのかすら解らない状態だったらしい。

 

駐車場に停めてあるバスが大きく揺れてバスの右側に乗っていたお客さんの数人が通路を挟んで左側の席まで飛ばされたそうだ。

 

 

行き場を失い三日間缶詰状態の中、ハワイアンズの職員が厨房の残り物でおにぎりを作ったりしてお客さんに配ったりしたそうです。

その後少ない情報を頼りに東京まで10数時間掛けて走り、何とかお客さんを帰宅させることが出来たけど運転手さん自身の家族とはそれまで全く連絡が取れず、震災から三日後ようやく連絡が取れたそうで、家族の事が心配でしょうがなかったけど何とか無事にお客さんを東京に帰してやらなければならないという事で精一杯だったと話してくれた。

 

運転手さんの家は3.11の時にダメージを受けたが何とか住める状態だったのだけどその後の4月の大きな余震の時に崩れてしまい、直すのに400万も掛かり、その間家族は親戚の元に非難したのだけど、50数年生きてきて初めて全てにおいて心細い気持ちというものを味わったと言っていた。

 

いわき駅に着く頃に宿泊場所を告げると もし迷惑でなければホテルまで送らせて下さいよと言って下さり一度ターミナルに入らなければ仕事上まずいのでと笑いながら停まる事も無くターミナルをグルッと一周してホテルまで送ってくれた。

 

 

もし迷惑でなければ・・・・・ 

この言葉は深いよな。 着いて早々いわきの人の優しさに触れた。

 

 

その後一人で街をプラプラ探索し、遅い時間で心配だったけど電気が点いていたので頑固な大将のいる寿司屋に入った。

昨年食べさせてもらった名物の めひかり が食べたかったのに めひかり だけじゃなくいわきの海の幸は全滅状態だと話してくれた。

今手に入るめひかりは地元の物ではなく愛知産の物らしく、他ではそれを出して食べさせるけど大将はそんなものは絶対に出さないと相変わらず頑固。

 

原発の影響で地元の魚は一切市場に出回らなくなったとの事だった。

それでも大将は頑固に頑張っている。

ここの大将は予約があっても良い魚が仕入れできない時は予約を断り店を閉めるという拘りぶり。

看板商品の鯖と穴子が無くなれば他のネタが有っても時間に関係なく閉店してしまう。

私は普段鯖はあまり好きでは無いので寿司屋で鯖を頼む事は無いのだけど、ここの鯖だけはいくらでも食べられる。

穴子も黒穴子を使っていて口に入れると柔らかくて溶けてしまうくらいだ。

静岡の先生のところで何度か しみずや という有名なお店のうなぎを食べさせて頂いた事があるのだけどそのうなぎを食べた時の衝撃に凄く似ている感覚になり、ここの穴子も最高なのだ。

案の定最終日に大将の写真を撮らせてもらうつもりだったけど早い時間に店を閉めていた。

また暫らく食べられないのかと思うと逆に食べたくてしょうがない・・・・

 

大将との話の中で国の放射能の調査船が網を入れているけど、カツオや黒穴子のような良い魚は線量の数値が少なければ奴らが持って帰って自分達で食べているという話も市場では有名な話らしい。

 

汚れているのは海じゃなく奴らだ。

 

 

逆に漁をしていない分魚の数はかなり増えていて大きさもえらくデカくなっていると言っていた。

その辺で釣りをしてもかなり良い釣果に恵まれると聞き試してみたくなった。

次回は釣竿を持参してみようと思う。

 

 

大将と話をしているとカウンターの隣に座った女性のお客さんにマスコミの人ですか?と話し掛けられ、昨年からの経緯を話すと色々と話をしてくれた。

子供さんがまだ小さいので何度も福島から出て行こうかと悩んだそうだ。

周りの友人の多くは街を離れ、遠くは沖縄にまで引っ越してしまった人も居るそうで北海道にも二人引っ越してきているそうだ。

昨年は子供を外で遊ばせる事も出来ず、触れるもの一つにも神経質になり気がおかしくなりそうだったと話してくれた。

出て行っても働く場所が無ければ更に苦しむ事にもなるだろうし、最終的に街に残ろうと決めたのは街の人達の暖かい人柄が全てだったそうだ。

 

なんとなく気持ちが解る気がした・・・

 

 

その後こんな話を聞いた。

 

 

原発の4号機が危ない。

 

 

私がマスコミの人間ならその事を伝えたかったらしい。

 

4号機が傾き、次にもし大きな地震があれば崩れ落ちる可能性が大きく、そうなれば今の騒ぎでは無い状態になる事は間違いないというのだ。

いわきの人口は約30万人で仮設住宅などに非難してきた人達が3万人、逆に街を出た人が1万人

で合わせて32万人の人達が確実に原発の被害者になるだけではなく、半径110キロがその範囲に入るだろうと噂されているそうだ。

そうなれば福島だけの話ではない、東北は勿論、関東にまで被害が拡大されるというのだ。

 

 

私自身噂話は聞き流す人間なのでそれが事実なのか噂話なのかは解らないので黙って聞いていたが、この話は今回後になって行く先々で聞かされた。

 

問題はこの国が民に真実を伝えない事だと思う。

しかしそれを許しているのも民なのだ。

 

それぞれに当事者になってみなければ解らないのかもしれない・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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