2012/05/26
再び福島へ2
5月23日
この日は心配していた前夜の雨も上がり、天気も回復に向かう感じだった。
友人Sが車を出してくれるというのでレンタカーをキャンセル。
迎えを待つ間、朝食を食べに降りたが場所が玄関ロビーにテーブルを並べているだけで、思わずフロントに確認したがそこで間違いなかった。
ロビーのテレビで流れている地元のTV局では復興に向けて常に地元の様々な情報を放送していて、食べ物屋さんや観光スポットだけではなく、子供達の様子や街で頑張っている人達の事を色々と取り上げていて、復興に向けて人々が前向きに歩いている事が伝わってきた。
予定より30分遅れで出発。
相変わらずSの口調は東北なまりが面白い。
子供等は元気かと聞くと娘がこの春無事に高校を卒業し理学療法士を目指して千葉の学校に進学したらしい。
息子に飯を食わしてやるから連れて来いと言ったら反抗期で親とは歩きたがらないと言っていた。
それも成長の証だ。
久々にハンドルを握り先ずは小名浜港から順に北上することにした。
港に入ると直ぐに昨年船が打ち上げられて山積みになっていた場所を見つけた。
港の反対側の商店街や住宅は建て直しや修繕工事に追われている様子で建設会社の人達があちこちで作業に追われていた。
昨年港の入り口に倒れていた暴風壁や電信柱はすっかり元通りになっていて少しホッとしたのもつかの間、船が山積みになったままの姿で目に飛び込んできた。
港に居た人に聞いてみるとどこにも持って行きようが無いのでそのままの状態にしてあるそうだ。
それでもアクアマリンふくしまをはじめとする港の施設も立派にリニューアルしていてなんとなく昨年とは違う活気のある空気に包まれているのを感じることが出来た。
港の片隅に復興を願う市場が出来ていたので覗いてみた。
駐車場には結構車が停まっていて賑わっている。
元々漁師だったオジサン達が威勢良く声を掛けている。
その辺の芸人より面白い冗談を言いながらお客さんを楽しませている様子に顔が緩んだ。
今年は声を掛けて撮影をさせてもらった。
おどけてポーズをとってくれる。
お蔭様で自分は流されなかったけど入れ歯が流されちまってよ~~!しばらく大変だったんだからwwwwwと豪快に笑い飛ばす。
私の思い込み過ぎかもしれないけどカメラを向けると笑っている目の奥は本当に笑っている目ではないようにも感じたが、それでも昨年には絶対に感じることの出来なかった人々の存在感を感じる事が出来た。
撮影しながら建物の柱を指差して此処まで波を被ったんだと説明してくれた。
まさか漁師の自分が船から降りて他の街の魚を仕入れて売る側に回るとは思ってもいなかった。
まさか自分が他の海の物を食べるようになるとは夢にも思わなかった・・・・
それでも明るく振舞う姿に魚を少し購入させてもらった。
そうしたら逆にのりの佃煮やワカメをおまけしてくれて此処でも人々の人情を感じた。
次に車を豊間に走らせた。
ばあちゃんがしがみ付いて助かったと言っていた墓はだいぶ修復されて綺麗になっていた。
崩れ落ちた橋のある場所に入ると仮設の橋が架かっていて周りにあった崩れた建物は綺麗に撤去されていた。
それでも直ぐ横の遊歩道や国道に上がる階段はあの時のままだった。
ここも同じように崩れた家は殆ど撤去されていた。
ただ不思議に思うのは撤去された家の直ぐ隣の家は全く大丈夫な状態だとか家と家の間の一軒だけが住めなくなるほど被害を受けているとか、街中のあちこちがそういう状態で歯抜け状態なのだ。
残っている家を見ても決して修繕をして新しくなっているのではなさそうなのだけどその差があまりにも大きくて一体どのような状態で津波が押し寄せたのだろうかとあらためて考えさせられてしまった。
また街の様子が綺麗になって行くことを喜んでばかりもいられない。
車を走らせるとあちこちに瓦礫が山積みにされている光景を目にする。
その中でも豊間中学校のグランドいっぱいに瓦礫が山積みにされていたを見て生徒さん達の気持ちを考えると切なくなった。
学校自体は津波の被害で授業が出来ない状態だから今は使われていないのだけど、だからといってあまりにも酷すぎるのではないだろうか。
瓦礫の受け入れの事も問題になっているけど、もう少しこの現実をきちんと見極めながら話し合ってもらいたいと願わずにいられない。
実際に線量計で計ってみたけど確かに瓦礫の中の方が若干線量は高い。
しかし普通に生活に支障をきたすレベルでは全く無いのだ。
確かに目に見えないものだし子供達の事を考えると不安ではあるが、数字だけで言うなら試しに士別で計ってみたけど0.15と数字が出た。
私達の普段の生活の中にも放射線は必ず存在しているのだし地球上のどこに行ってもそれは変わらない。
震災の直後から我々はマスメディアやワイドショーを通じて普段聞いた事の無い言葉を聞き過ぎてしまったのだ。
実際に何ミリシーベルトとか言われて解る奴がいるのか?
完全に報道の仕方に問題があったと思う。
専門家が素人に説明をする時にはどんな世界であっても専門用語を噛み砕いて解りやすい例え話で説明する方が親切だ。
それをあの時は逆にさもさものように専門用語を並べて知識と教養を振りかざしているような偉そうなオッサンばかりだったのだ。
あれで人々はかなり頭の中が混乱したに違いない。
そうなると人間は勝手な憶測で想像したり噂を流すようになってしまうのだ。
毎朝福島では天気予報と同じに放射線量が発表されている。
避難地域の一番問題とされている場所は流石に10.50とかで、聞くところによるとその中で1時間半も居れば被爆してしまうらしいが、0.25くらいでは何ら支障はないという。
いわきの海岸線も平均して0.25くらいで街中で0.15くらいだった。
避難地域だった川内村も除染が進み学校のグランドでも0.15と逆に海岸線より少ない数値だった。
0.5以上になればマスクを着用しましょう、1.0以上になったら外での遊びは控えましょう、2.0になったらお家から出ないようにして下さいという程度で良いのだ。
そんな思いの中次の街に向かった・・・・・ つづく