奥山陽一のコラム

2011/08/20

ディープピープル

 

NHKで深夜放送されているディープピープルという番組をご存知ですか?

 

先日はものまねのコロッケ、コージー、まねだひかるの三人と、続いて世界中でオーケストラの指揮をする小林研一郎、広上淳一、下野竜也の三人がトークを繰り広げていた。



 

 

 

とても興味深く見入ってしまった。

というより聞き入ってしまったと言う方が適切かもしれない。

 

 

再放送の二部構成だったのだろうけど、最初のものまねの話と、指揮者の三人の話に共通点が多く、

更には自分の世界に置き換えて聞いていると写真の世界にも同じ様な事を感じずにはいられなかった。

 

 

ものまねの三人の中でやはりコロッケが大御所的な存在。

一番若手が宇多田ひかるのものまねをやっている、まねだひかる。

 

彼女はカラオケボックスを主な練習場所としているのだけど、まずは本人の特徴や癖等をビッシリと事細かくメモをしているノートを取り出し、カラオケに合わせて歌っていた。

それを録音し、自分の歌声をイヤホンで、更にその上から本人の生歌をヘッドホーンを被せて聞いていた。

 

同時に自分と本人の声のづれを細かくメモしながら音程等を調整していく。

 

そのシーンを見たコロッケとコージーが唖然としている。

 

そんな事までやってるの? 

そんな事したこと無いよ・・・・

色々と会話が進むなか、コロッケとコージーが色々とひかるにアドバイスを送る。

 

二人が言っていたのが、自分の声質を知る事が大切だと言うこと。

そして、自分の視野を広げ想像性を高める事が大切だと話していた。

 

 

その中でコロッケは、実は昔から基本は何も変わっていなくて、ただ今の時代に合わせたアレンジをしているだけだと話していた。

 

もし??? という疑問符を大切にしているのだ。

 

もし、森進一が恐竜だったら?

もし五木ひろしがロボットだったら?

 

こんなものまねを見たことがあると思うが、そこから次に五木ひろしがAKB48を歌ったらどうなるだろう?というように発展させてきただけだと言う。

 

 

 

本人は本人でしかないのだから全てをコンピューターで作るかのように同じにしようとするのはどうだろうか?

 

隙がない物ほどつまらないものは無い。

 

コロッケも隙が無いほど似せてしまうと、似てますねで終わってしまう。

一言二言文句を言いたくなる程度が丁度良いのだと言っていた。

 

 

このセリフは私も写真の世界で何度も師匠から聞かされてきた。

 

 

思わず納得・・・・・

 

 

 

次は指揮者の三人。

 

世界のコバケンこと小林研一郎さんは71歳 広上淳一は確か50代前半、下野竜也は41歳

 

ここでも同じ様に下野竜也は楽譜を徹底的に分析し、本番直前までにらめっこしている。

コバケンは控え室では下着も着けずにスッポンポンで準備運動をしながら過すという。

広上淳一は本番ギリギリで着替えをし、楽屋前で必ず日本茶を飲んでからステージに上がるという。

 

下野竜也は見るからに真面目そのもので、普段聞く音楽もクラッシックしか聴かないそうだ。

広上淳一は幅広く色んなジャンルを聞き、AKB48まで聞いているとの事。

コバケンも色々聞くが、中でも美空ひばりの歌声が好きで、曲の繋ぎの部分の歌い方などはまさにクラッシックの世界にも通ずるものがあると語っていた。

 

 

最後に三人がそれぞれにベートンベンの第九を指揮するシーンが流れた。

 

下野竜也はやはり楽譜通りに忠実に指揮をする。

広上淳一は独創的に自分の身体の全てで表現する。

コバケンは指揮中にも関わらずドンドン声を掛けながらやはり全ての情熱をぶつけるように指揮していた。

 

そこでコバケンが最後に楽譜には無い 溜め のような指揮をして締めくくるのだけど、その部分に下野竜也が気付き質問を投げ掛ける。

 

クラッシックに興味の無い私の耳で聞いても同じ曲なのにそれぞれが違うように聞こえた。

 

コバケンが言うのには、ベートーベンの演奏を実際に聞いた事がある人は現代において誰もいない。

楽譜は同じであっても、それぞれの音に対してや思い入れに対して受け取り方、解釈の違いがあって当たり前だと言う。

 

 

隙の見せ方、聞かせ方、そして先程のものまねと同じく楽譜というオリジナルに対しての解釈や想像性・・・・

 

勘違いしないで欲しいのは、基本を壊していくのではないという事だ。

 

解釈も勝手な解釈でもなければ間違えた解釈でもない。

逆に楽譜の奥に隠れている心情や様々な事を誰よりも深く追求しているという事なのだ。

 

 

これと同じ事を私も過去に静岡の先生から聞かされた事がある。

一枚の作品に巡り会った時に、上辺だけを見るのではなく、作家の心まで感じ取れるように深く見るようにしていかなければならないと・・・・・

 

 

コバケンの楽譜に無い部分のアレンジはパフォーマンスではないのが解る。

 

 

 

やはり美空ひばりだな・・・・w

 

 

クラッシクの世界にいるからクラッシックだけしか聞いた事が無い。

写真の世界で写真しか見ていない・・・・

 

 

下野竜也がそれに気付いたのだろうか?

彼のトークも生き様も私には退屈に感じた。

もちろん世界中でオーケストラを束ねて指揮する位置にいる人なのだから私のような人間が言ってはいけないのだけど・・・・・でもそう感じちゃったんだもんw

 

 

遊びを知らない男は女から見てもつまらないのと一緒だ・・・・

 

 

かといってただ遊んでいるだけの奴は三回くらい死んでくれだ。

 

生かす遊びでなくてはならない。

 

 

 

逆にコバケンには興味深々。

もっと色んな話を聞いてみたくなったし、会えるものなら会ってみたい人に感じた。

 

 

まあそれにしても、コバケンの温厚な人との接し方には私も色々と反省させられた。

 

世界に立つ人間は違うな・・・・・

 

 

 

 

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