2011/07/30
日肖写in東京
27日から東京に行ってきました。
年に一度の日肖写(日本肖像写真家協会)の全国展。
今年はこれだ~!
んな訳無いだろう~~~~! 爆
六本木ヒルズで現代アートの展覧会をやっていたので時間の合間で見学に行ってきたのだけど、
その時展望台の水槽でニモを発見。
覗いてみていると、水槽の向こうに東京タワーが・・・・・
写メでパシャリ!
日肖に出品した作品より素晴らしいかもしれない 笑
飛行機の時間の都合上前日から前乗り。
展覧会場が銀座なので、宿泊も銀座にしてみました。
ホテルの周りにはヴィトンやブルガリのショップや、お洒落なお店がズラリ。
歩いている人達も落ち着いた雰囲気で御洒落な人が多く、どの店も垢抜けた接客をしてくれる。
その辺のアルバイトやパートさんでも士別なら正社員で充分な接客業に着けるんだろうなあ・・・・
スカウトして連れて帰りたくなってしまう。
駅から歩いてゆっくり探索をしながらチェックイン・・・・
本当は道に迷いながらホテルの反対方向に行ってしまったなんて噂もチラホラ 爆
暑さと冷や汗で部屋に着く頃にはシャツもビッショリ・・・
コンビニで水やちょっと大きめなペットボトルのお茶を買ってきたけど、寝るまでの間に無くなっていた。
翌日久々にノンビリしてやろうと思っていたら、モーニングコールを間違えてセットしていたらしく、
逆に何時もより早起きだった。
二度寝も出来ず予定より早めに展覧会場に入る事にした。
モノクロの肖像画が大半を占める中、丁度会場の真ん中に自分の作品を発見。
周りの入選作品と見比べると作品の良し悪しは別にしてある意味目立っている。
ひょっとしたらひょっとするかもしれないぞ~~~~! ニヤニヤしてしまった。
この日肖写という会は日本で唯一肖像写真を主として人物主体の自由な表現や発想を受け入れてくれる会であり、歴史も古く、日本のトップクラスの肖像写真家の集まりでもあり、私が入会した頃はその入会する事すら難しく、推薦人も二人以上必要で、私の師である清水先生に入会を希望してもなかなか首を縦に振ってもらえなくて、逆にそれが強い憧れにも繋がっていき、毎月日肖用の作品を作っては師の元にしつこく通ったのを思い出す。
日肖には四大賞というのがあり、その頃の北海道のレベルは作品作りに弱く、一生に一度取れるか取れないかとも言われていた。
もちろん私は目指せ四大賞の勢いで入会させて頂いた。
24歳で入会し、清水先生からはお前が50歳くらいになるまでに一つくらい貰えるように頑張りなさいと言われ、怖いもの知らずの私は、あと25年後なら先生も生きていないかもしれないから生きているうちというより、10年以内に先ずは新人賞は獲りますよと言ったら、まあお前ならやらかしてくれるかもしれないなガハハハと笑ってくれたのを思い出す。
新人賞の該当者は入会10年以内となっていた。
10年でもまだまだ新人扱い、その頃自分の親の世代の人が若手と呼ばれているのを聞いてビックリした。
じゃあ20代の自分は子供か? いや赤ん坊かもしれないと思った事もある。
まあそれくらい厳しい世界だから楽しいとも感じた。
写真の写の字も写真の重みも知らない私は作品が楽しくてしょうがなかったし怖いもの知らずでチャレンジ出来たのだと思う。
そんな無鉄砲な私がなんといきなり入会二年目で新人賞候補にノミネートされた。
清水先生も私の親を含め周りがビックリしていたのを今でも覚えている。
しかしこの頃は、一つの賞に3人の候補者が推薦され、全会員の投票によって決定される事になっていた。
結果は見事1票差で同じ北海道の札幌のM会員に負けた。
周りからは、賞候補にあがるだけでも凄い名誉な事だと慰められたけど、ダントツで負けるならその慰めも素直に受け入れただろうけど、1票差なだけに悔しくてしょうがなかった。
悔しくてとにかく訳も解らず撮りまくった。
月に一枚見てもらう約束を毎月10枚以上持って清水先生の元に通った。
その執念が実ったのか二年後に再び賞候補にあがった。
周りは有り得ないと言いながら頑張りを褒めてくれたけど、この時は会場に入るなり自分の作品の弱さに、投票前から諦めがついた。
この時も新人賞候補の時と同じM会員に負けた。
そして数年後三度目の賞候補に・・・・
この時はかなりドキドキした。
なんと有り得ない事に候補者三人が全員北海道の会員。
それも二敗しているM会員と、作品を知り尽くしている旭川の大御所Mが相手。
会場で二敗している会員には負けていないと感じたが大御所との勝負には自信が無かった。
静岡の先生はお前の勝ちだなと言ってくれていたけど、知名度が違うと半信半疑だった。
しかし先生は知名度で勝てる程、日肖は甘くないと言ってくれたのだが、その言葉が尚更重たかった。
結果は見事に秀作賞受賞! 北海道のグランプリをもらった時より嬉しかったのだけど賞の重みがそれ以上の重い何かを背負わされたように感じ、心の底から喜べたのかは余り記憶に残っていない。
記憶に残っているのは北海道に帰り、受賞のお祝いをしてもらったのだけど、何故か一晩で10万円の入った財布の中身が綺麗に空っぽになっていた事だけだ・・・・・トホホ
その後10年目ギリギリで新人賞を頂いた。
この時も同じ北海道の稚内のY会員との勝負だったが、この時は会場に入って直ぐに勝ったと確信した。
それにしても候補にあがる度に北海道の会員と戦わなくてはならないのが一番辛かった。
せめて四つあるのだから北海道は其々に分かれて候補にあげてくれれば良いのにという声もあった。
私が入るまでは北海道で候補に上がったのは過去に3人程度だったのだから、北海道のレベルもそれだけ高くなってきたのかもしれない。
またまた長くなってしまったので結果だけ報告します。
久々に い た だ き ま し た !!
秀 作 賞
マイナス20℃の吹雪の中でのヌード! 題名は 「 幻 冬 」
作品の良し悪しより厳しい気象状況での撮影が評価されたのだと思っているけど、今の日肖でヌード作品で賞候補にあがるのは無理だとも言われていたので私的には結構喜んでいる。
合評会でも、素直にモデルを捉えているのと、見ているだけで寒そうなのにこの状況で写したチャレンジ精神が今回の受賞に値したと評価して頂いた。
さてさて来年の絵は既に頭に浮かんでいるし、もう手を掛け始めているから今からじっくり作り上げていこうと思っている。
本来なら国画に挑戦しようと考えている中での作品なのだけど、国画は更に厳しい世界で、ここに行くには私だけではなく会社もスタッフもきちんと育ってくれなくてはならない。
他の会に入るのとは全く違うのだ。
その厳しさは生半可なものではない。
北海道には国画の会員も会友すら未だ存在していない。
普通の写真屋の人達には理解すら出来ない世界なのかもしれない。
一般で出品をし、認められていけば会友になる。
そこから会員になるには人格も含め更に厳しい条件を全てクリアしていかなければならない。
心技体が一つにならなければならない世界なのだ。
中には会員になれずに年を経てお亡くなりになられている方もいる。
私の知っている人の中には会友から会員になるまでに20数年掛かった人も居る。
80近くになっても毎年チャレンジし続けていて、それでもまだ会員になれない人も居るのだ。
逆に静岡の先生のように途轍もない速さで昇っていく人も希にはいる。
私もその希な人になりたい。
しかし私が今から始めても下手をすれば60才を過ぎてしまうという可能性もある。
そこから新しい作品を作っていく事は非常に難しい。
若ければ若いだけ脳が柔らかいのだから一才でも若いうちに始めたかった。
国画を勧められてから10年が過ぎた。
もし挑戦していれば50歳までには会員になっていたかもしれない。
行きたくてウズウズしている自分が居るが、中途半端で挑戦できる世界ではない。
作品はいくらでも出品できる状態にあるし、逆に国画に向いていると言って下さる方もいる。
問題は会社を空けて行かなくてはならないのだ。
静岡の作品の先生も勧めてくれるが、私の会社の事も気に掛けてくださり無理には勧められないと気を遣って下さっている。
だからこそ悔しい思いもある。
私に会社なんて必要が無いのかもしれない・・・・
しかし国画は金も掛かるのが現実だ。
スポンサーでも付くなら別だけどそんな事は有り得ない。
この御時世だから作品だけに集中できるわけがないが、会社というものに振り回されるのも嫌気が
さしてくる。
毎年頂いている国画の図録を眺めては溜息をついてしまう今日この頃だ・・・・・
まあ先ずは久々の受賞を喜ぼう・・・・・
国画に挑戦してえぞバカヤロ~~~~~~!