奥山陽一のコラム

2010/11/09

ヤミレン

 

みなさんは ヤミレン という言葉を聞いたことがあるだろうか?

先日の深夜のドキュメンタリー番組で取り上げられていたのだけど、四国松山市の繁華街では若者たちが真夜中の自主トレ「ヤミレン」に励んでいる。

被写体求めさまよう写真家、オリジナル料理と格闘する板前。50人切りに挑む美容師、ダンサー、マジシャン・・・・・

 



 

 

何がヤミレンに駆り立てるのか? そんな若者の姿を追いかけた番組なのだけど、自分の修行時代や、うちのスタッフ達やこの業界の若い人達と重ねて見ていたのだけど結構考え深く面白かった。

 

ある若いカメラマンがコンテストの入選に向けて毎日被写体を求めて繁華街を歩いては声を掛けて撮影をしていた。

写真の学校を出て、あるスタジオに就職をし、その後5年間、仕事が終わってから毎晩カメラを片手に歩いているというのだけど、私の目に映る彼の姿は決して褒められるものではなかった。

 

うん、この子は無理だな・・・・

 

テレビに向かって独り言を言ってしまった。

 

次に登場したのが料理人。

彼も仕事が終わってから毎晩深夜2時過ぎまで調理場に立ち、黙々と包丁を握っている。

その生活を4年間毎晩欠かさず続けているというのだ。

でも先程のカメラマンとはちょっと違って見えた。

 

次は美容師。

彼女も毎晩1時過ぎまでカットの練習を重ねる日々。

勤めている会社の試験で50人のモデルを自分で探してカットのテストを受け、50人全員のカットが合格しなければお客様の前にデビュー出来ない。

50人分のOKを貰えなければ何百人でも自ら探してカットし続けるしかないのだ。

大半の子がこの会社では2ヶ月ももたずに辞めていくらしい。

 

問題は何故私がカメラマンの子だけは無理だなと思ったかというところなのだけど、調理人の子も美容室の子もヤミレンをやりつつ、決して自己評価ではなくきちんと第三者にその成果を見てもらっているというのが全てなのだ。

 

私もヤミレンのような事はやってきた。

恩師が亡くなるその当日までの15年間、月に最低1度は作品を持参し見せるという事を一ヶ月たりとも休んだ事が無い。

どんな賞を貰う事より、15年間続けてきた事が私の誇りだと思っている。

亡くなって10年近くになるが今でも毎月の作品作りは欠かしたことがない。

そして続けてきた事で、今また自分の写真を叱ってくれる人達とも出会い、更に高い位置へと目標を定める事も出来た。

 

ヤミレンのカメラマンにはそれが無いのだ。

 

闇雲に写しまくり、自分で自分の写真に判断を下している姿が映っていたのだ。

毎晩写しては独り言をつぶやいている。

 

こんなんじゃダメだ・・・

 

次の日もシャッターを押しまくっては、 ダメだ・・・・・

 

うちのスタッフや若い人達を思い出して重ねてみるとピッタリ当てはまる。

 

いや、うちのスタッフより何百倍もこっちの子の方が頑張っている。

 

ただ悲しい事にテレビの中の彼は頑張り方が悪いから無駄な時間を過しているのだ。

 

無駄な時間と言ったら怒られるかもしれないが、趣味の世界ではないのだ。

お客様を相手にしていくプロとしてその自覚が足りないからいつまでもスタジオに立たせてもらえないのだ。

これは逆に言えば会社にとって大きな損失なのだ。

サラリーマンであってもそれは同じではないだろうか?

給料というものの仕組みを考えれば、いつまでも会社から小遣いをもらっているようじゃ困るのだ。

とっとと仕事を覚えて一線で活躍してもらわなければ会社も困るが最後には自分が困るだけの事なのだ。

 

料理人の子はヤミレンで作ったものを必ず料理長に見せてアドバイスを受け、言われた事を理解しようとし、次の日にはその欠点を克服しようと頑張っている。

その結果彼のメニューが翌月のお勧めメニューとして採用された。

 

美容室の子はダメだしばかりで試験どころではなかったけど、ダメだしの部分を必死に練習し、夜中まで練習台になってくれた人達の恩に報いる為にと、率先して行動を起こし、一ヶ月の間に6人のカットをし、4人分のOKを貰っていた。

 

この2人の共通点は、自分を曝け出している事。

練習の結果を見せる人が居る、また言ってくれる人が居る事が幸せな事だと感じているというのだ。

 

私達の業界の研究会でも、作品を持ち寄って批評し合う合評会というものがあるが、年々写真を知っている先輩達が亡くなっていく事や、少なくなってきている事を寂しく思う。

 

番組の最後の方でやっとカメラマンの子が何かに気付き、今まで誰にも見せた事がなかった自分の写真をプリントして上司にアドバイスを貰いに行くシーンが出てきた。

 

きっと番組の製作者もそれを解っていて、そこに行き着き、テレビを見ている同世代の若い人達にも気付かせるようにシナリオを作ったのだろうという事が最後の方で見えてきた。

 

思わず夜中の番組だったけど、うちのスタッフ全員に電話しようかと思うくらい見せたかった。

 

今日もある2人の社長さん達と話す機会があったけど、皆畑違いの仕事だけど考えは一緒なのだ。

 

結局簡単な話でしかないのだ。

行動あるのみ。

 

行動をしているうちは失敗という言葉は生まれないと思う。

それは失敗ではなく経験だと言えるだろう。

行動をやめて背を向けた時が、失敗する時なのだと思っている。

行動し続ける事の中での失敗は単なるヘマであり経験だ。

その経験を克服しながら積み重ねているうちに次の想像も生まれ、ビジョンも見えてくる。

死ぬまで続ければ死ぬまでその想像は続くものだと信じている。

 

問題は今ある己をどう克服するか。

それは人との出会い、関わりでしかないと私は考える。

 

 

 

 

 

 

 

奥山陽一のコラム
このページの一番上へ