2008年02月のコラム

九死に一生
北見からようやく帰ってくることが出来ました。
帰りの峠で危なく命を落とすところでした。

昔々は100km以上で走れたような峠ですが、さすがに命根性が汚くなってきたのか前が見えない状態で、流石に40kmくらいでしか走れず、雪が舞う度にフロントガラスにへばり着きながらブレーキを踏むを繰り返しながらの運転をしていました。

ふと思い出すと・・・
峠の入り口の道の駅とその先のパーキングがやたらと混み合っていて、どうしてこんなに混んでいるのかなあと思いつつ横目にしながら峠に足を踏み入れてしまったのです。

しくじったなあと思いつつ、ここまできたら前に進むしかありません。

後ろからの衝突にも注意しながら・・・私の進行方向では私の前にも後ろにも結局最後まで一台も見ることはなかったけど・・・

対向車線には時折トラックのみが走っていましたが、これがまた怖いの何のって・・・すれ違うたびに地吹雪を起こして目の前真っ白。
おまけにみんなセンターライン側を走るので、わたしはついつい崖っぷち側を・・・こんな状況の中を走りながら何とか峠の頂上を越える事ができました。

少し緊張がほぐれた頃、私の進行方向側にうっすらとライトの灯りが見えてきました。
除雪作業者の灯りかな?と思いつつ・・・
いや!間違いなくこちらに向かって走ってくるではないですか。

ヤバイ!!と思いながら何とか縁石に乗り上げて車を停めました。
間違いなく私の方へ向かってきます。
パッシングをしながらクラクションを鳴らしまくり、車のドアを開けました。
幸い私の車は左ハンドルなので何時でも逃げ出す準備万端でした。

トラックが目の前でようやく私の存在に気付いたらしく、パッシングしてきました。
ギリギリのところで何とか交わして横滑りをしながらそのまま通り過ぎていきます。

でも人間いざとなると身体が動かなくなるもので・・・
停まっている車なのに更にブレーキを踏んでいる自分が居ました。
今でもハッキリとトラックの箱車が壁のように私の目の前に迫ってきた映像が蘇ります。

心臓がバクバクして手が震えていました。
幸いにパンツの方は大丈夫だったけど、まさに九死に一生スペシャルでした。

多分僅かな時間だったのでしょうが、私の中ではスローモーションで映像を見ているような感覚で、もし気付かずに走っていれば間違いなく正面衝突だったと思うとゾーっとします。

日頃、判断と決断は早め早めということを心掛けておりますが、
生きていたから勝手な事を言えるだけで、先を急がずもう一泊して朝早く出るという決断をしていればこんな思いもしなかったのかもしれないと深く反省しております。
(2008.2.29[Fri])

ミニミニセミナー
今日は北見の某会社に呼ばれ、従業員向けのミニミニセミナーの
講師を務めさせて頂きました。

目的は社内の空気の流れを変えたい、従業員の意識改革をしたいと言う事で、普段外の風に触れる事も無く、なあなあになりつつある空気を外の風を入れる事で変えていけるのではないかと言う事でした。

北見では老舗の会社で、今の社長さんで三代目です。
先代は重い病気を背負いながら闘病生活のなかで奥様と娘さんを中心に会社を運営してきましたが、数年前に奥様に実質の経営をゆだねて会長職を全うされて他界しました。

私は、亡くなった会長、現社長にとてもお世話になった事があり、
頂いた義理と情をいつか必ずお返ししたいと考えておりました。
また、必ずその時が来るものと信じておりました。

社員の年齢は上が49歳、下が26歳という比較的若い層で動いており、私の目から見るとチームワークは良く見えるのですが、その分強烈なリーダーシップを取れるものも居らず、一応社長、専務、常務というような役職は付いているのですが、その役職が機能していないように見受けられました。

簡単に言えば役職なんていうものは、その役柄を理解して演じなければならないのですが根本はそれが理解されているかどうかと言う事です。

物事の判断は誰もが出来ると思います。
でも決断するには勇気が必要な時もあります。

例えば、戦争はするよりしない方が良いという判断は誰もが出来ます。
しかし武器を捨てて裸になる決断はなかなか出来るもんではありません。

会社は全てトップの責任において決断されますが、その決断に行き着くまでには、社員それぞれが判断能力を身に付けていかなくてはならないと私は考えます。

今回のセミナーでは、社員全員にちょっとしたゲームをしてもらいました。

30分間の時間の中で外回りをはじめ、事務所、ロビー、トイレ〜倉庫の至る所までを隅々までチェックしてもらいます。

社員それぞれが気になるところを全部書き出しながら歩きます。

30分経ったらそれぞれに5cm四方程度に裁断した紙を大量に渡します。

「今から皆さんが気付いたところを簡単に箇条書きで書き出してもらいます。先ずは会社の外回りからいきます。 慣れないでしょうから先ずは1分半で出来る限り書き出してください・・・
次に玄関に移ります。玄関は1分で書き出してみましょう」

こんな感じで、予め私がチェックしておいた場所を順に指定して書き出させます。
中にはトイレ!などというと、えっ?そこは見ていませんでしたという者もおります。
幸いこの会社には居ませんでしたが、他の会社では過去に何人か居りました。会社をきちんと見ていない、お客様の立場になったものの見方が出来ない・・・・リストラ対象者候補です。

時間も30秒だったり、1分だったりと改善して欲しい場所にはわざとに時間を掛けたり私のさじ加減で行います。

このゲームは不思議なもので、弱点とする部分が明確に出てくるだけではなく、同じ意見が重なり合うようになっています。

例えば御客様を迎える玄関やロビーが気になる会社だと、ロビーと言った瞬間から 暗い、照明器具が汚い、照明が気になった、置き物に統一感が無い、落ち着かない、ソファーが汚い・・・・

それぞれの社員から出てくる答えは、気になる場所ほど似たような
答えが返ってきます。

こんな風に、どんどんやっていくと社員も調子に乗ってどんどん書き出してきます。

一通り終わると私の方から出す言葉は簡単です。

○○さんと○○さんはここが凄く気になってるんですね?
よく気付いてくれました。
私も気付きませんでした、ありがとうございます。
では、さっそく二人で責任をもって解決してください! これだけです。
結局、最終的にはこれらをどうやって克服していくかという話し合いを全員でしていくわけですが、書き出した以上は書き出した人間が責任を持たなくてはいけなくなるのです。

このゲームは書き出す事は簡単ですが、じゃあそれをどうやって改善していくかという事が一番大切な事なのです。

判断は出来るが決断が出来ない! こんな小さな事からでも会社の空気は変わっていけると考えます。

解っていてもなかなか行動に移す事は難しいかもしれませんが、
あとはこの会社の若いトップリーダー達が率先して行動を起こしてくれる事に期待しております。

この夜は宴会を開いてくださり、美味しいお酒と料理に囲まれてワイワイと楽しい時間を過ごさせて頂きましたが、聞きなれない若い人向けのカラオケの爆音が耳に残って寝苦しい夜でもありました 笑
同時にこの人達を放っておいたら何の話し合いもなく終わってしまうんじゃないかな?・・・と不安を残したのも本音かな。
(2008.2.27[Wed])

世間話
今日は某新聞社の営業のO君がやってきた。
ついつい1時間半も長話をしてしまった。

O君は30歳になったばかりで、新聞社に勤めて1年半の
若手営業マンで、まだオドオドとした態度が初々しい感じの
好青年です。
でも、久々に一生懸命と言う言葉が似合う男に出会えたなあと思わせる感じがして、良い出会いをさせて頂いたと思っています。

仕事の打ち合わせから、次第に個人的な世間話に逸れていきました。

内容は・・・

「O君、前職は何してたの?」

「洋服屋の雇われ店長をしていました」

「へえ、全然畑違いじゃん」

「はい、札幌 旭川にお店があるTシャツ一枚1万円もするような
お店で、ノルマが2500万円だったのですが2000万円しか売る事が出来なくて、撤退を余儀なくされました」

「?? 2000万??」

「自分でキャンペーンを催したり、お客様一人一人に手紙を書いたり、毎日悩みながら頑張ってみたんですが・・・」

「きっとそこの社長さんは、オープンの時に顔を出したくらいで、
実際にその街を歩いたり、人と出会う事もない感じじゃないの?」

「え?何で解るんですか?」

「ばか、そりゃそうだろうよ!このご時勢、街の人口や人の動きや
風習なんかを見りゃ、到底2500万は無理な数字だろうよ。
逆に言えば、てめえが何にもしないでふんずり返っててよ、普通ならO君この街で良くぞここまで売り上げてくれたね!って言うのが筋だろうが!
でも、結局は経営者自体が地域に密着していないから札幌だの旭川だの、味噌も糞も一緒にしか考えられないんだよ。

うちらもそういう物の考え方しか出来ない人間に出くわす事もあるよ。
例えば学校アルバムなんて悲惨だよ。
大きな街から転勤してきてよぉ、アルバムの値段を下げろだの証明写真を300円にしてくれだのぬかす訳よ。
何百人も居れば、印刷数も多いから当然安くなっていくけど、
10人や20人位の学校じゃ無理に決まってるだろ?
おまけに、入学式から卒業までの間に収入は無いわけよ。
三年通って一人頭3000円位の利益が出ても、三年間で3000円だよ!
俺は単純に、都会だろうが田舎だろうが子供達にとって母校への思い出は一生もんだと思ってるんだ。
教師は転勤だ何だってあるから、せいぜい思い出は有るにせよ初めて教壇に立った学校か最後の教壇が母校みたいな感覚だと思うんだ。
でもよ、俺は出来ればずっと子供らの成長を見ていたいなあって思ったりするし、いつか俺の作ったアルバムをもう一度引っ張り出してきて思い出を蘇らせてくれたら良いなあなんて思うわけ。

だから赤字覚悟でも、他の写真屋がそっぽを向いたような小さな学校でも行くわけよ。
たった一人ぼっちの卒業式とか、たった一人の入学式だってへっちゃらで行くよ。涙が出るくらい感動モンだぞ!
そういう事が解ってない奴等が多いんだよなあ。
教育庁だか文部科学省だか知らんけど、見せてやりたくなるぞ 笑
 O君の場合デパートのテナントに入ってたわけでもないし、あの商店街の中の一軒のお店としてやってたんだから、逆に自分の努力に胸張って良いと思うけどなあ」

「え?? そんな事言われた事もありません。 ありがとうございます」

「ばか!ありがたくないんだって!! なぜそこで独立を考えなかったの?」

「そこまでの勇気がありませんでした」

「ぅうう・・・みんな同じ事言うんだよなあ・・・
リスクばかり考えてるのか、本当にやりたい事ではなかったのか、
給料を貰ってる方が楽だと考えるのか・・・
そんな弱気じゃあ店長クビになってもしゃあないよな」

「頑張ったんですけどねえ・・・でも自分でやるにも資金の事や色々考えちゃいますよ」

「まあ皆考えるよな。 でもよぉ、頑張るとか努力してますって、
この世の中誰もが頑張ってんじゃないの?
まして頑張って自分なりに形を作ってきたものを、諦めた時点で全て手放してしまったんだぞ」

O君が自信を持って、お客様を大切にしてきたと胸張って言えるなら、独立してもちゃんとお客様は戻ってきてくれるんじゃないかな」

「はあ、そんなに深く考える能力がありませんでした。
そうですよね、お客様を大切にしていればというか、人の出会いが楽しくて頑張れたんだから、そう考えればもっと大切なものが見つかったかもしれませんよね」

「おぉそうよ!それが一番なのよ!銭の事ばかりしか頭に無いから、苦しいのよ!! 俺なんて、この店を27歳で始めたんだよ」

「27歳ですか??」

「そう27歳。 貯金してた訳でもないし、投資してもらった訳でもなく、ただの勢いで建物や機材の借金4000万を背負ってのスタートだったんだよ」

「マジですかあ?? 怖く無かったですか?」

「怖くはないさ、転んだらまた起き上がれば良いだけじゃん、問題は起き上がり方なんだけどさ、どうして転んだかだけをしっかり見極めりゃ良いだけじゃん!そうすりゃ転ぶ事が無駄では無くなるんだよ。 転んでただ立ち上がるだけじゃ何度もこけるし、諦めりゃぁ全てがパアよ!」

「すげえ!マジに感動しました」

「バーカ!そんなの上辺の話だって!! 
おかげで二年目に、米買うお金すら無かったんだよ。
それに、うちの床見てみなよ。
入り口の方に傷があるだろ? この店の床、自分で貼ったんだよ」

「えええ!すげー・・・写真屋さんって器用なんですかねえ」

「バーカ!俺なんか超不器用だよ。 俺が独立する時にさあ、
ちょこっと写真教えてた子のお父さんが、俺が金も無く改装するのにも困ってるって噂を聞いて、飛んで来てくれたんだよ。
そのお父さん元大工さんでね、手伝ってやるからお前も一緒にやれよ!って言って、二人で二ヶ月掛かって改装したんだよ。
だから入り口の辺りは、釘の叩き損ねばかりで傷付いてるんだよ。

それに機材も、メーカーの社長さんが立て替えてくれて、お前が頑張るなら応援してやるから無理をせずに月々1万円でも良いから返せよって言ってくれて助けてくれたんだあ。
そういう温かい心に出会えたおかげで、今の俺があるんだよ」

「人の出会いって素晴らしいですよね、羨ましいです」

「ほんと沢山の人に助けられながら生きてきたよ。だから頑張れる
しね、その代わり売り上げの殆どをその社長さんに返してたから二年で借金は返せたけど、その分米が買えなかったとも言えるけどね。
収支の計算が全くなってなかったんだよ。
ただの勢いで突っ走ってきただけでさ・・・ご利用は計画的にだよ笑 」

「いやあ本当に良い話が聞けました。なんか情熱大陸ですよね」

「ハハハ、でも写真屋って敷居が高くて爺さん先生が写すイメージがあるよね。
でもよ、例えば夢と希望に満ち溢れた花嫁さんがいたとすれば、
その時代のニーズに応えてあげられるのって年齢が凄く左右すると思わないか?
さっきの話じゃないけど、こける事の怖さは無いけど、老いる事への怖さは感じるよ。
うちは、赤ちゃんの撮影で20年アルバムって作ってるんだけど、
こんな世の中だからさあ、親の愛情を表現してあげたくてね、成長記録を残しつつ子供が20歳になった時に御両親からプレゼントしてやって下さいっていうのをやってるわけよ。
でもよ、俺だってその頃には爺さんになってしまうだろ?
そしたらさあ、その子が結婚する頃の時代のニーズに応えてやれるか?」

「そうですよね・・・一緒に歳をとってしまいますものね」

「そうよ!うちなんて有限会社とかってイッチョ前に会社みたいになってるけど、そんなの全然関係ない♪の世界なわけよ。
まして、社長とかって呼ばれるのも大嫌いなわけよ。
写真屋が社長、社長って呼ばれるようになったらおしまいだよ。
うちなんて俺一人食べていく位が丁度良いんだもん。
ただしお客様に対して責任があるからさ・・・・
だから若い子を育てたいわけよ。
早く育ってくれたらさっさと社長業降りて、次の世代のお客様の為のニーズに応えられる店作りが出来るでしょ?
政治にしても何にしてもよ、さっさと次の世代にバトンタッチしてやらないと人材が育たないし、次の花が咲かずに終わってしまうと思うんだぁ」

「やっぱり、すげえわ! 色んな会社歩いてますけど、10年先20年先のビジョンを持ってる会社って少ないですよ」

「ビジョンなんてモンじゃないけどさ、こんな時代だから皆今を生きるのに必死なんだよ。 北海道で起業して50年100年って会社は少ないかもしれないよね。
事業が行事になって、行事が風習や歴史を刻んでいき、いつかその歴史が文化を作るんじゃないかと思うんだ。
さっき爺さん先生って言ったけど、爺さんには爺さんにしか撮れない写真もあるし、若い奴は若い奴の表現があると思う。
爺さんも昔は若かったわけだよな。
だからこそ、この道からそれずに歩きながら良い歳のとりかたしたいし、写真文化を継承していきたいわけよ。
なあ、だからO君も新聞社に勤めたんだから新聞社のやらなきゃならない事をしっかりと考えて欲しいんだ。
お互いに頑張ろうな!」

「真面目に良い刺激になりました本当に良い出会いをありがとうございます」

「うん、俺も良い出会いに感謝するよ」・・・

またまた会話的になりましたが、良い目をした若い人に出会えた事に感謝します。

明日は北見のとある写真屋さんでミニ講演会を開催します。
どんな出会いや珍事があるか楽しみです。
(2008.2.26[Tue])

会長とワカサギ釣り
結局一睡も出来ずに、朝を迎えた。
30分でも眠ろうと思うけど、眠れない。
しょうがないのでシャワーを浴び、昨日の皿洗いをして時間を潰した。
ようやく出掛ける時間となり、朱鞠内湖に向かう。
ありがたい事にここの漁組にもうちのお客様がいる。
テントを一式予約していたので、案内されて釣り場に向かった。

実は私・・・写真より釣りの方がうまいかもしれないという噂もちらほら・・・ないない!

さっそく凍りに穴を開ける。
叔父夫婦とうちのスタッフ2人を入れて5人での釣りとなった。
5人入ってもまだ動き回れるくらい余裕があるテントに7つ程穴を開けた。
皆が小さな針に餌を付けるのに手間取っているうちに、私はニヤニヤとしながら早々に釣り糸を垂らしました。
棚を探ているうちに当たりが・・・・
ワカサギがダブルで上がってきました。
さっさと10匹程釣り上げる頃に、ようやく他の皆も釣り始めました。
退屈しない程度に当たりがあるので、みんな楽しそうに釣っています。

私はテントから離れたところに穴を開けに行きました。
この朱鞠内湖は、ワカサギだけではなくサクラマスやイトウも穴釣りで狙えるのです。

夏は作品に行き詰ったりするとボートを漕いでボーっとしながらイトウを狙って釣りをしています。
今までの自己ベストは80センチ強で、目標はやはりメーター越え
のイトウです。

そんな中、ルアー竿に仕掛けをセットして釣ったワカサギを背がけにして泳がせます。
さお先に鈴を付けて完了。
あとは鈴の音が聞こえるのを待つだけです。

再びテントに戻ってわかさぎ釣りを再開しました。
みんな少し当たりが遠退いたようです。

私は黙々と釣り上げます。

叔父が「お前の穴だけ違うんじゃないのか?」などとブツブツ
言っておりますが「腕、うで!」と言ってドンドン釣って見せます。

皆の真剣な顔に負けて、棚を取るコツを教えました。

そうするとたちまちそれぞれの竿に当たりが戻ってきたようです。

「おお、今は上の方に居るみたいだぞ」
「こっちは下の方です」
それぞれの穴で棚が違うらしく、皆一様に釣り上げていきます。

そんな時、鈴の音が・・・
おっ!来た来た!
竿先が勢い良く震えています。

リールを巻くと、なんとく覚えのある嫌な感覚でした。
穴から顔を出してくれたのは元気なウグイでした・・・・
一同大爆笑・・・

その後寒さで鈴の音の錯覚まで聞こえるようにまでなりましたが、
最後まで本当の鈴の音を聞く事も無く、終了時間を迎える事となりました。
数えてみると、私が170匹でダントツでした。
5人で500匹以上の釣果に大満足で帰路に着きました。

直ぐに皆で天ぷらを揚げ、ついでに余っている野菜を使って掻揚げ
も揚げて掻揚げ丼も作ってみました。

実は私、写真より料理の方がうまいという噂がちらほらと・・・
ない!ない! でもこれは満更でもないんですよ。
写真の道に入る前は料理人になりたくて、小学生の頃から包丁握ってましたから・・・男の適当料理ってやつですが・・・
意外と何でも見様見真似で作れます。

掻揚げを御飯の上に乗せて熱々のタレをドバッと掛けて出来上がり。
意外とこれがワカサギより好評だったのがちょっぴり嬉しかったりして・・・・

時間があればもう一度くらいは行って見たいなあと思いつつ知らないうちに爆睡しておりました。

明け方、寝坊したと思って飛び起きて寝惚けながら釣竿を探していた自分に笑えました。
(2008.2.22[Fri])

会長とワカサギ釣りの前に・・・
今日は、札幌から叔父夫婦が遊びに来た。
目的はわかさぎ釣りだ。

それに託けて普段離れて暮らしている子供の誕生日を明日に控えているので我が家で一緒にお祝いしてもらった。
特注ケーキに歳の数字を描いたローソクに火を点けると面白がって
何度も点けては消してを繰り返す。
完全にウケ狙い 笑
学校があるので寝る時間に送り届け、その後叔父に作品を見てもらう事にした。

うちの叔父も写真家で、昨年まで北海道の勉強会の会長を務めていた人だ。

北海道でも厳しい目を持っており、若い奴らには近寄りがたい存在でも有名な人です。

私には清水正之という師匠がおりましたが、18歳の時に師匠が65歳で、はじめて会った時は なんだこの爺さんって感じでした。
いざ修行に入ると、その偉大さに気付き自分の人生までもを変える出会いだった事に亡くなった今でも感謝しつつ、追いつきたくても追いつけない思いと、15年間亡くなるその瞬間まで写真の技術はだけではなく、心根の部分をしっかりと植えつけて下さりました。
北海道の業界で清水を知らない者は居ないと言っても過言ではありません。
モノクロの世界を知り尽くし、北海道の写真業界では指導者として
君臨しておりました。

うちの叔父も清水派で、清水より頑固で有名でした。
今ではすっかり丸くなっちゃいましたが・・・

普段はなかなか写真を見てもらう事が出来ないので、ここぞとばかりに作品を見てもらい、自分の見ている目線と弱点だと考えている部分をズバリ指摘されました。
それだけではなく、自分ではまあまあの出来かなと思っていた作品も、自分の気付いていなかった部分を指摘してもらい、色々と自分の中で整理することが出来ました。

翌日は5時起きだというのに、結局1時半までしつこく作品について色々指導してもらいました。
「おい、頼むよもう寝ようよ」
「じゃあ最後に、色出しのバランスはどう?」
「色は好みも有るからなあ」
「毎日自分の写真ばかり見ていると麻痺してきそうで怖いんだ」
「悪くは無いんじゃない? 他の写真屋は機械任せで肌の色もくそもあったモンじゃないけど、やっぱり一枚づつ色出ししている分だけ違うのはお客さんが見てもそれくらい一目瞭然だろうよ」

私は清水の教えを未だに守り続けています。
確かに写真屋もデジタル化され、どこでも機械でスイッチを入れれば簡単に出てきてしまう便利な時代になりました。

確かに機械を通さなければプリントは出来ない時代ですが、せめてもお客様一人一人の肌の色くらいは自分自身で手掛けて仕上げなければ、写真の大切な意味合いを失ってしまうだけではなく、自分の存在価値すら無くなってしまう様な気がしてなりません。

私が開業した頃、身内も知り合いも誰一人居ないこの街で、米も買えないくらいの時がありました。(今でもたいして変わりませんが) 
そんな時自分の師匠に うちも機械を入れたいと相談しました。 なぜなら一枚単価のコストが100数十円なのです。
それで高い金額を頂くのですから機械を入れている店は家くらいは建てられますよね・・・

師匠の答えは即答でした。

「機械を入れるなら写真屋なんて辞めなさい」でした。

「機械を入れればそれは便利だし儲かるけど、お前の写真は存在しなくなる。機械に入れて出てくりゃ何処もみな同じ色合いの写真でしかなくなるだろ?」

私も即答でした。「そうですね、やめときます」

それ以来、他のお店が気にならなくなった自分がいます。
それまでは、100人いれば100人全員を自分の方に振り向かせたいと思っていました。
それは大きな間違いだと気付きました。
ゆっくり時間を掛けて、写真を残す事の素晴らしさ解ってもらおう、最後までこの世界で生き残る事が写真を撮らせて頂いたお客様への恩返しになる事に繋がるんだと思うようになりました。

結局ベットに潜り込んでも、写真が気になって再び並べて見直したりしているうちに一睡も出来ませんでした。
(2008.2.21[Thu])

某議員さんと
アポなしで某議員さんが来社して下さりました。
「元気?雪ハネの実況良かったよ」
「ありがとうございます。会場にいらっしゃったんですか?」
「みんな頑張ってるんだから、顔くらい出さなきゃね」
「いつも何かと僕らの事業に顔を出して頂いて感謝しております」
「若い人達が頑張ってるんだから当たり前だよ、手伝いが要る時には声掛けてよ」
「はい、ありがとうございます」

この某議員さん、私が過去に士別でも24時間テレビに協賛して何かやろうよと言う事から、所属していた青年会議所で24時間ミニバレーボールの実行委員会を立ち上げて半年掛けて準備を進めていた頃から気さくに声を掛けてくださっていました。

当日も議員さんチームを結成して参加してくださったり、事あるごとに必ず顔を出してくれたり・・・
私の個展の開催にもお花を頂戴したり・・・
行政に対しても凄く身近に感じる話が本音で出来るお方です。

「奥山君JCはあと何年?」
「え?昨年無事に卒業させて頂きましたよ」
「そうかあ、若く見えるからまだ数年あるのかと思ったよ」
「はいあちこちで言われます」
「JCも寂しくなるなあ、他所の街から来てこんなに士別の事を考えてくれている人なのにねえ」
「いいえ、ちゃんと現役メンバーが頑張ってくれていますから、私みたいのが消えても大丈夫ですよ」

「この街で今何が必要で、何が不必要だと思う?」

・・・この人いつも突然難しい事言うか、黙って話を聞いてくれるかどっちかです。

「私は士別だけが良くなればとは考えておりません」

「ほお?どうして?」

「士別は通りすがりの街だと思います。人の足を止めるにはこの近隣市町村そのものが輝いていなくてはいけないと思います。

政治にしても 俺が俺がという気持ちが欲を生みます。
今の世の中、マスメディアに踊らされ情報が氾濫し、いつの間にか
テレビでは事あるごとに評論家と名づけられた人間がさもさも上辺だけを喋っていて、それを鵜呑みにして本質が民には見えていないように感じます。

政治家はオウムのように党の宣伝ばかりです。
党の為の政治をやっているだけにしか思えないのです。
党の為の政治より、民の為の政治が必要だと思います。

国民だって馬鹿じゃない、いい加減飽き飽きしていると思いますよ。党の潰し合いをしてる場合じゃないんだけどね。

この国には暴動などがありません。他所の国ならとっくに大騒ぎじゃないでしょうか?
平和ボケですよ。

私は士別市民でありながら、この地域の人間です、この北海道が大好きな人間です。そして何より俺達は日本人だ!って胸張って言える自分でいたいなあって思います」

「党の為の政治かあ・・・そうかもしれないね。じゃあ民の為の政治を君がやってはどうだい?応援するよ」

「勘弁して下さいよ〜!市議になるなら国会議員の方が良いです!
  嘘です、冗談ですよ!」

「でも、本当に若い議員をどんどん増やしていかなきゃいけないと思うんだ。君の企画力やその想像力が面白くてねえ」

「じゃあ私が企画案を出しますから、それを議会で通して下さいよ」
「それが通ればさあ・・・」

「例えば税金問題、民から吸い取る事ばかり考えてないで、配るのってどうです?配って配った中から税金を頂くとか」

「ん?どういう事だい」

「例えば、士別だと人口2万3千に位だとして一人から毎月一万円徴収するんです。

一ヶ月に2億3千万円のお金が動きます。
それを毎月低所得者から順に配ってはどうでしょう?

例えば一人計算でも良いですし、所帯別でも良いです。
一人に1千万円なら毎月23人に配れますよね?

そこから、申し訳ないけど3%〜5%を市の財政に充てさせてくれって言ったら、心理的に嫌がる人は少ないと思います。
条件はこの街に最低5年以上住んでいる人から順次という事と、
この街で消費する事にします。

この街に住んでいれば必ず貰えるんですよ。
街自体も潤うと思うんだけど・・・人口も増えるかもしれないですしね」

「しかし、面白い事考えるよね。 でも毎月一万円ずつ出し続けるんだろ?どうなのかなあ?」

「普通に貯金していてもなかなか一千万円の貯蓄なんて出来ないですよ。出来るのは限られた人達でしょ?
世の中、勝ち組とか負け組みとか訳の解らない事言ってるけど、
豊かな社会と、便利な社会を勘違いしてるだけです。

そんなもんで勝ち負け言われるなら、これからの地方自治体は全部負け組みじゃないですか? これくらいの思い切った政策が出来なきゃ何も変わらないと思います。

現に戦後30年以降、この国の総理大臣はポンポン変わってきたけど、この国は何も変わってこれなかったと思います。
終いには誰がなってもバッシング、思うように動けないじゃないですか?
何かあれば辞任、辞任って言うけど、辞任で責任なんて取れるわけも無いです。
最後まで責任持ってやらせなきゃ、逆にそれをチャンスだと思ってもらわなきゃ、辞任だけでは何も変わりはしないのが解ってないのかも知れません」

「うん、確かにこの国は変わっているようで変わってはいないね」
「でしょ?だから変わらなきゃ」

「じゃあ教育についてはどう思う?」

「戦争を経験された先人達が生きているうちに教壇に立つなり、
あちこちで講演でもしてもらって、生の声で悲惨な戦争を伝えるべきだと思います。

近い将来戦争を経験された人達も亡くなってしまうのは事実です。
今は何となくでも伝える事が可能ですが、本当に居なくなってしまったら、この国はもう一度戦争を経験する事になるかもしれません。 今の教員だって自分より若い世代の先生ばかりですよ、想像させる教育より、マニュアルに沿って暗記させる教育に変わってしまって、ゆとり教育だなんて笑ってしまいます。

世の中の良い子って大人に都合の良い子の事を言ってるだけで、
自分で一人歩きしようとする子を変人扱いしたり、手の掛かる子としか見れなくなってきているような気がします。
テレビのドラマでエジソンの何だかってやってるけど、あれは面白いなあと思いますよ」

「うんうん、1+1=どうして2なのって言うやつね」

「そうそう、あれは大人を困らせる番組だって言ってる人がいたけど、困る大人の方が悲しいというか虚しいというか・・・私なんて未だに疑問符ばかり付けて生きていますよ 笑」

「だから面白い発想が生まれるんだろうね」
「ただ幼稚なだけです」・・・

この後も話は続きましたが、かなり長くなったのでこの辺で・・・
2008.2.17[Sun]

チョコ強制疑惑
今日は世の男性が一日中ソワソワしてしまう日ではないだろうか。

私の収穫は5個、年齢と環境を考えれば贅沢なもんです。
これでも昔は、昔は、昔、昔は〜〜モテたんだけどなあ・・・昔は
小学生の時は12個、中学でも20個、高校は男子校にも関わらず25個
 なのに〜な〜ぜ〜♪ 社会に出てから片手に乗っかるのが精一杯。
その頃の私は、数より質だよ!質!!と豪語しておりました。
ところがこの歳になりゃ 質より数だ!数が大事なんだぁ〜!!
と年甲斐も無く・・・・

それでも今年は従業員の前では涼しい顔をして余裕をかましておりました。

午前中一つ目が届きました。お世話になっている某ホテルの従業員さんからです。
律儀にうちのスタッフの分まで下さりました。

午後になり昼休み中に女性スタッフに一言・・・あのよぉ男は質より数なんだよなあ・・・呆れた顔でポンと一個

その後、これまたお世話になっている某美容室のスタッフが登場!
「はい、愛情たっぷり特製毒入りチョコだよ。うちの先生の分も持ってきたからね。三人分ね!」
「あらら、先生までとは申し訳ない」
「だってえ、この前来た時チョコ待ってるからなあって大きな声で
言うんだもんうちの先生だってしゃあないって思うじゃん、もう一人は数だ!っていうからチロルチョコの詰め合わせね 笑」

うちのスタッフがニヤニヤしながら・・・・
「先生?もしかして全て強制ですか??」
「バ〜〜カ、男は質より数だよ数!!義理でも何でも良いんだよ」
一同「・・・絶句」

てな事で今年のバレンタインデーは静かに幕を閉じたのでした。

やっぱり一個でも質にこだわりたい今日この頃でした。
(2008.2.14[Thu])

国際雪ハネ選手権
昨日から士別の雪祭りです。
歴史的には札幌雪祭りの翌年から開催されているらしく、昔は賑わっていたらしいです。

私も士別の地にやってきて、12年が過ぎました。
来て直ぐに(社)士別青年会議所に入会させられ、あくまでもさせられたのですが、毎年年明け一発目の大きな事業としてこの雪祭りのお手伝いをさせて頂いてきました。

入会当初は一ヶ月近くプレハブに交代で張り付き、子供達に極寒体験をしてもらおうと、かまくらを50基も作ったりして、そこに子供達に泊まってもらったりという事もありましたが、年々規模が縮小され、今では児童公園とその周りだけの規模となってしまいました。

そこで何か新しい事業が出来ないものかと考案されたのが、今年で9回目を迎える国際雪ハネ選手権なのですが、北海道の辛い雪ハネ
を楽しむ方向に考えようという事で生れた競技なのですが、内容は
単純で四角い箱に雪をドサッと入れ、それを4人一組でひたすら堀続けて箱の底に隠れている赤い旗を取り出してゴールするタイムを競う競技で、優勝はなんと賞金50万円!
参加賞の他にも パフォーマンス賞や飛び賞などが用意されています。
そして男子、女子それぞれの部の優勝チームには会場を笑いに包む黄金に輝く金のスコップとママさんダンプのレプリカが贈呈されます。

そんな中、私の役目はと言いますと・・・毒舌が買われてかどうか知りませんが一昨年からこの雪ハネ選手権の実況中継を仰せつかり、一日中プレハブの二階から競技の実況を中継させて頂いております。
昨年で青年会議所の方を卒業させて頂きましたので、今年はのんびりかと思いきや、朝6時起きでした・・・

この雪ハネ選手権も各メディアに取り上げられるようになり、道内だけではなく全国放送でも紹介して頂けるようになり、今年は東京から某大手IT企業が参加してくださったり、道内各地から参加してくださるチームが増えました。

実況は若くして理事長まで勤めた相棒と二人で、打ち合わせも全く無い状態でお互いに勝手に進めていきます。
スタート前の選手の表情や、雪質、競技の進行状況などその場で
掛け合うのですが、これがまた何の違和感も無く最後までおよそ6時間以上も喋り続けられるのですから不思議なもんです。

これも長い間お互いに、街づくりに対して熱い思いをぶつけてきた仲間だからこそ成せるものではないかなと思います。

今年は地元勢が全滅し波乱な大会となりましたが、決勝は皆さん御存知の旭川から参加してくださりました旭山動物園チームと、遠くサロマから昨年に続いて参加くださった大工さんチームの一騎打ちとなりました。
結果は本当にタッチの差でサロマに軍配が上がりました。
このサロマの大工さんチームは、女子の部で奥様達も参加してくださり、金髪やら何やら賑やかな雰囲気で見事パフォーマンス賞に輝き、最後まで会場を盛り上げてくれました。

ちなみに50万円の使い道は、士別の特産品 サフォーク肉をおみやげに買い、決勝で戦った旭山動物園のパスポートを購入しますと
言っておりました・・・

競技終了後、お互いの検討を称え合いながら来年も頑張りましょうと握手を交わしている姿を二階から見ておりましたが、何となく寒い士別の中で温かい気持ちにさせられ、来年の第10回大会も大勢の人の手によって成功に導かれると良いなあと感じました。

詳しい内容は 国際雪ハネ選手権 もしくは 士別青年会議所で
検索してみて下さい。
2008.2.10[Sun]

HPリニューアル
昨年末より打ち合わせをしてきた当社のホームページがリニューアルしました。
これまでのHPも個人的には好きなデザインでしたが、どちらかといえばギャラリー的要素が強かったかと思います。

今回も製作はアイディアサンタさんにお願いし、私のイメージを更に膨らませて頂き、予想以上の出来栄えとなり大変感謝しております。
何せ感性でモノを喋る男(この頃は普通になってきた)ですから、
イメージを伝えるにも バーっと白くとか、ドカーンときてパッと通り過ぎてさあ・・・みたいな喋りでスタッフの皆様をだいぶ困惑
させてしまったかもしれません。

それでも打ち合わせでは、上手に私のイメージを引き出すように誘導してくださり、見事に製作スタッフの方々に伝えてくれてページが出来上がる度に違う意味で感心させられました。

私の専属通訳になってもらおうかな 笑

前回までの黒ベースから白ベースにイメチェンして、仲間内に見せたら・・・
少しは人間に近づいたのか?とか 白の似合わない男がいきなりどうしたんだい?・・・などなど、ある意味良い感想を聞かせてもらえました。

何せ私、業界では辛口トークで有名でして、普段はシャイでクールでナイーブで思ったことの半分も喋れない男ですが、いざ写真の勉強会や合評会なんかの席では相手が誰であろうとも熱い男に変身してしまうのです。
ちょっとだけ言い訳させて貰えるなら、そこにはちゃんと写真に対する愛情を持った毒舌である事は間違いありません・・・と付け加えておきます。
この辺の話はこのコラムを通して、様々な分野でおいおい書いていきたいと思います。

と言う事で、今後は私の勝手な思いを書いていきますので宜しくお願い致します。
(2008.2.1[Fri])

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