2013/10/12
東京2
先に仕掛け人の役員が集まり会場の準備を整え集合場所へ。
全員が揃うとミーティング開始。
既にハラハラドキドキさせられる珍事件もあちこちで勃発しているので、くれぐれも悟られないようにとの事、スタジオの裏口から全員で襲撃!
流石の先生も呆気にとられている様子でした。
おめでとうございますの発声と共にクラッカーが打ち鳴らされました。
同時に拉致開始。
僕とF君がカツラに派手な蝶ネクタイ姿で先生に目隠しをし、用意してあった車に押し込みました。
その間に皆さんは会場に移動。
会場は柳橋で江戸時代から続く割烹料亭 亀清楼。
余興には福島のBさんが美川憲一のそっくりさんとして駆け付けて下さり花束贈呈。
会場も大いに盛り上がりました。
僕と先生の出会いは20年以上前の北営協の大会。
僕は二十歳で入会し、組織の中では最年少でした。
その頃から会を作られた太田さんや清水さんに目を付けられ、そろそろこの会も徐々に変えていく方向で考えている、君は若いしまだまだ写真の事は何も知らない。
でも知らないから良い事もある。
鉄砲玉は怖さを知らないうちに飛ばすのが良いと笑われていました。
組織のリーダーは写真が上手いからリーダーになれるというわけではない、ただ続けるなら誰でもいいけど、変えていくには違うエネルギーが必要だと会うたびに言われていました。
そして、何も知らない君から見て、この人は凄いなあと感じたら噛み付いてでもしがみついてでも盗みなさいい、感じなさい、学びなさい。
噛み付いたら噛み付いた以上の責任が生まれるのだから、自分から逃げ道を無くしなさいと言われていました。
そんな時に講師で来た先生が審査の席で僕の写真の前を素通りした時、審査員は見る目がないなあと言ってしまいました。
その後先輩に、お前はなんちゅう事を言ってるんだと怒られましたが、コンテストでしょ?自分のベストを持って挑んでいるんだし、会場の中の写真を見ても俺は負けていません!と言い放った。
その頃の私から見れば、周りも講師で来られる先生方もただのオッサンかオジイさんにしか見えません。
誰が上手いとかそんな事も分かる訳もなく、ただその時に来られていた先生の写真を見て何かが違うなあと感じていました。
それから再び先生が講師で来られた時に、自分も多少成長していたのか、この先生の写真は北営協や北海道の写真屋には無いなあと感じ、更には色んな表現の中で写真ってもっと楽しくて、もっともっと表現して行っても良いんだなあと感じた事を思い出します。
この時にパネルを6枚並べた中に女の子が立っている写真でグランプリ争いをして帯広のSさんに負けましたが、パネルが多すぎる、パネルは2枚か3枚で、もっとシンプルにモデルさんだけを表現していればこの写真をトップにしていたかもしれない。
写真はシンプルが良い、人間が前に出てこなければいけないと教えて頂きました。
悔しくて毎日スタジオで腕組をしながら、テスト撮影の為に現像代、プリント代を毎月20万円くらい使いました。 お陰で翌年はしっかりとグランプリを頂きました。
今では懐かしい思い出です。