奥山陽一のコラム

2013/09/24

山を買うぞ!

 
僕のルーツは知床にあります。
爺さんが山形から知床開拓の第一陣で入ったそうです。

そんな爺さんが斜里岳の麓に山を持っていて、僕は幼少の頃から夏休みになれば預けられていました。

開拓当時から、90年前に爺さんが建てた山小屋がそのまま残り、町からも壊さないで欲しいとの事、半分は雪で倒壊してしまいましたが、補修して残っています。



 

 この時代に電気も無く、ランプと薪ストーブ。

側には湧水があちこちから湧き出ていて、川の水を汲んで入る五右衛門風呂から眺める星空は最高でした。 ドラマ北の国から状態です。

腹が減ったら山女魚やオショロコマを釣って食べ、時期にはさくらんぼや梅が沢山。

其の辺に苺が沢山なっていました。

 

 

生きる力、自然と楽しむ事の全てはここから始まったような気がします。

 



友人知人を連れて行くと皆が大喜びしてくれています。

高校を卒業した後、師匠の清水さんを誘い、美幌の兄弟弟子夫婦と一緒にキャンプをした時の事を今でも懐かしく思い出します。

この時に清水さんが大喜びで、帰ってきたあとに開業時に購入したというMinoltaflexとRolleiflexを旅のお礼と形見分けとして頂き、今も大切に飾っています。

 

近年では静岡の先生の奥さんと娘さんを知床観光で案内した時に少し立ち寄りましたが、さくらんぼ刈りをしながら喜んでくれていました。



そんな思い出の詰まった爺さんの山がピンチです。



爺さんは僕が士別に引越してくる当日に95歳で亡くなりました。
婆さんは一昨年102歳で亡くなりました。

その後爺さんの次男が跡を継いで管理していましたが、そろそろ年齢も年齢なので・・・・

そんな時にもし何かあれば一番目の叔父の息子の手に渡り、直ぐに売却されてしまう様な話だと聞きました。

多分中国系も含め何人かが、湧水の出ている付近の土地を売ってくれと来ていたそうです。

そんな事は絶対にさせてはいけないけど、その息子が欲たかりなボンクラだから困っています。



この環境を絶対に子供達に残してやりたい。



中3の相棒が中学に上がった時に二人でルーツを探す旅をしました

士別も田舎だけど、もっと凄いところがあるんだね。
でもここはこのまま残って欲しいと言ってくれたのを思い出します



僅かな定期預金等も全て解約しました。

山小屋から半分向こうの原生林のままの一部でも抑えてやろうかと考えています。
一部と言っても何百坪もありますが・・・


とりあえずプレハブ小屋かボロなキャンピングカーでも購入して置いてこようかなとも考えています。

こんな事考える僕はやっぱりアホなのかなあ・・・・

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