2013/06/26
義理人情は死語か? ケツの拭き方
先日懇意にしている居酒屋の支店に顔を出してきた。
社長と話をしていて、店長が色々と落ち込んでいるとの事、様子を見に行ってきた。
これは義理事ではなく情だと思う。
社長とは古くからの付き合いで、仲間であり、良き理解者であり、親友である。
オープンの時から会社同士で関わりがあり、色んな面で義理もある。
持ちつ持たれつの関係だ。
互いの従業員の異業種研修をやったり、相談をしあったり、ぶつかり合ったりもしてきたのでそこにも情がある。
支店の店長も私との関わりの中で社長と知り合いそこの従業員となった人間。
その店長が色々と悩んでいるというので社長に代わって顔を出してきたというのが事の経緯。
飯を食いながら様子を見ていると、一生懸命に店の事を考え努力している様子が伝わってきた。
それなら大丈夫!努力している姿が見えるうちは必ずどうにかなるものだし、助けてやろうという気持ちにもなる。
彼と色々と話をしながら、社長も頑張っている奴を見捨てるような男じゃないから信じて着いていくようにと諭した。
そんな中、メニューの話となり色々と恥ずかしくも情けない話を聞いた。
この頃は手軽に誰でも写真が写せる時代となり、経費削減の為か飲食の関係もお店でも素人が自分達で撮影したのだろうと思える写真付きのメニューを目にする事が多い。
正直ダサい!
写真を見て、わ~美味しそう~!!と思えるようなものが殆ど無い。
今回見せてもらったメニューも非常にダサい!
なんだこれ?と言うと、実はこれこれこういう訳だと説明された。
撮影したのはうちの元従業員。
店長がポツリと一言・・・・
奥山さんが言ってた義理人情に欠ける奴は仕事も出来なければ人に相手にされずチャンスすら頂ける事も無くなるだろうって言う言葉を思い出しました。
こういう事なんだろうなと思って寂しくなりましたけど、腹が立ったのでもう二度と会いたくもないし、関わりたくもないです。
次からは自分で勉強しながら撮影してパソコンも触れないけどバイトの子に色々教えてもらいながら自分でメニューを作ってみましたとの事だった。
私とはもう関係のない人間と言いたかったけど頭を下げた。
それは義の部分に対しての事だ。
これまでうちに居る間は本人もどれだけ個人的にもお世話になった事か。
独立の際にも社長からお祝いまで頂いているとの事。
常識がない人間なのか世間知らずなのか、私との付き合いのある人から花やお祝いを頂いても
報告すらなく、この時初めて知った。
店長が祝いを届け、その数日後にメニューの写真の事で助けて欲しいと電話するとお金をもらえないのなら無理ですねの一言で断られたとの事だった。
なんと情けない話なんだ。
義理人情の話をすればコイツだけではない。
近頃本当にこういう大切な事を、知っていてやらないのか、知らずにやれないのかは知らないけど、
礼儀に反している若い人間が多すぎる。
その前に義理とか情とか男気って何だか解らないと言っていた40過ぎの人間もいた。
まあそいつは男ではなくただのカマ野郎だからどうでも良いのだけど...
一つ頂いた義理は10にして返す。
それは人間の好き嫌いとは別の話だ。
義を大切にしていく中で、そこから情も生まれる。
そこから人間対人間のお付き合いが出来るのだと考える。
一見ヤクザの世界の言葉の様に思われるかもしれないが、それが出来ない奴はヤクザ以下だと思う。
義を忘れ、てめえだけで今があると勘違いしているバカが多すぎる。
こんなバカの為に頭など下げたくもない。
しかし少なくとも私との付き合いの中で知り合ったのだから申し訳ないと頭を下げるしかなかった。
しかし同時にチャンスも生まれる。
それはケツの拭き方次第だ。
喧嘩上等!相手などどうでも良い、自分自身の喧嘩だ。
直様うちの研修生に勉強の為に撮影をさせてやってくれないかと話してみた。
少なくとも店長がバカチョンカメラで撮影するよりはマシだろうし、6年もうちに居て何の勉強もしてこなかった人間に対し、写真を初めてたった二ヶ月の研修生がそれ以上の物を撮るというの見ものだろうと話した。
店長も面白いですねと乗り気。
そして何よりそれが論より証拠となるのだ。
これは実に面白い。
研修生もこの二ヶ月の間に、やったらやっただけの結果が現れるという事を目の当たりにしている場面がいくつかある。
例えばうちに展覧会用のモノクロの作品を持ってきた地方の若い子に色々とモノクロについてアドバイスをして、その子が次の日にはそれを実践して作り上げていくことで入選し、更には北海道の大会でもグランプリを頂く事が出来た。
その逆に、沈んでいく人間の姿もあった。
それを目の当たりにして見ているのだ。
そんな中で何も感じ得る物が無いとすれば写真の世界では無理だろうと思っている。
帰ってきてから、いきなり研修生に勉強させてもらってきなさいと話し、物撮りの基本のセッティングを教えた。
更にそこから撮影のテクニックではなく、心根の部分を私なりに伝え、ある一冊の分厚い写真集を渡した。
一流のシェフが作った料理を一流のカメラマンが撮影をし、写真集にしたものだ。
技と技、プライドとプライドがぶつかり合っている様にも見えて面白い写真集だと思った。
心根の話のあとに見せれば説明などは必要ない。
自分で感じて好きなように撮影を楽しめば良いと思っている。
もし感じないのであれば、それが本人のレベルでしかないし、この先に期待するものは無いに等しいだろう。
その後一晩中スタジオで練習をしている様子だった。
そして撮影した写真をプリントして私の元に持ってきた。
初めてにしては上出来だった。
写真の上手い下手ではない。
解らないなりに自分で考え創意工夫をしながら撮影しているというのが写真に写っているのだ。
本番が楽しみだ。
これも私のケツの拭き方の一つであり、喧嘩のやり方の一つだ。