2011/08/19
良いボケ味
道連の大会が終わってから、また新たな課題や、挑戦したい事が増えた。
週一ペースでモデル撮影をこなし、更にはちょっと新しい試みを・・・・
お子さんやお孫さんに付き添われて来るお爺ちゃんやお婆ちゃんに撮影が終わると必ず声を掛けてモデルになって頂いている。
別に私にすれば新しい事ではなく、逆に原点に戻っていく作業なのだけど、昭和の時代の味のあるモノクロ写真をデジタル時代に再現してみたいと思い、挑戦している。
デジタル時代になり、写真屋が機関銃のようにシャッターを切り続け、何百枚も同じ様な写真を写した中で良いものを選ぶ・・・・
商売だからしゃあないと言えばしゃあない。
私はそんな撮影の仕方はしないけど・・・
でもそれとは別に一人のカメラマンとしては商売の裏で技を磨いていかなければならないし、全く違う次元で写真を常に見つめていかなければならないと考えている。
いいものはいつの時代でも変わることは無いし、変えてはいけない。
ただやるとすれば時代に合わせてアレンジをする事は必要だと思っている。
しかし基本は何一つ変わることは無いのだ。
その道、その道で、プロとして受け継いでいかなければならないものが沢山ある。
こんな時代だからこそ尚更大事にしなければならないのかもしれない。
私達の写真の世界でも、カメラ機材がデジタル化されただけで、写すカメラマンは人間なのだ。
そこの軸は絶対にブレてはいけない。
ただ困った事に、このデジタル時代の写真というのは誰でも簡単に写真が写ってしまう。
そして誰でも写せるが故に味が無い。
平面的表現なのだ・・・・
丸味のある柔らかい写真。
人物が浮き出てくるようなボケ味の良い写真を見る事が少なくなってしまった。
美術館等でたまに1900年代初期の頃からの外国の写真を見ることもあるけど、昔のモノクロはやはり長く見ていても飽きないし、見れば見るほど味がある。
シンプルであればあるほど良い味を出しているし、技術の深さを感じる。
人物を写す写真家の中でもしっかりとした風貌を写す ユサフ・カーシュのオリジナルを一度だけ見た事があるのだけど、見た瞬間、背筋がゾクゾクッとして暫らく時間が止まったかのように衝撃を受けた事を今でもハッキリと覚えている。
オリジナルプリントは写真集等では感じる事の出来ないものを感じる事が出来る。
良いオリジナルにどれだけ出会えるかというのが非常に大切である。
そんなこんなで、デジタル時代を受け入れる覚悟さえしっかり出来れば、写すのはあくまでも生身の人間でしかないのだ、機材がどうとか、ソフトがどうとか、それは人間が人間を写す行為の後の問題でしかないのだ。
撮影がしっかりと出来ていなければ、デジタルで写そうがネガで写そうがダメなものはダメでしかない。
写真とは光と影の光画の世界でしかないのだ。
確かにクソ面倒臭いのも事実だ。
やれ色温度がどうとかこうとか、ネガの時代でも確かに必要だったけど、デジタルと言うのはネガの何倍も気を使わなければならない部分が多い。
何千カルビンだか焼肉のカルビーだかユッケだか知らないけどデーターで処理される時代だから私のように気合だけで撮影してきた人間にとっては数字を見たり、専門用語が飛び出すだけでも身体が痒くなってきてしまいそうだ。
そんなこんなで、なんとかデジタルで昔のようなボケ味の良い写真が撮りたくて色々と試行錯誤を重ねている。
そして一瞬一瞬でどれだけ良い表情を引き出す事が出来るかと言う事にもチャレンジしてみている。
カメラを構え、モデルさんと向き合った瞬間から1分~多くても3分と決めて、どうしたら良い表情や人格を捉える事が出来るか・・・・
普段の撮影の何倍も激しい撮影かもしれない。
動の激しさではなく精神的な激しさの中で、どれだけ集中できるかどうかなのだ。
ヘトヘトになるけど、良い表情を引き出せた時には気分が良いし、それが相手にも伝わるのだろうか、喜んでくださる度合いが違うように感じる。
まだまだ完成には至らないけど、一応許可を頂いているので画像を添付してみます。
もっとセーブしなければならない光があったり、もっと表現しなければいけない光があったり・・・
むずかしい~~~~~!!