2011/07/20
陸前高田から・・・
先日面接の事をブログに書いたが、昨日会社に一通のメールが届いた。
就職希望者からの問い合わせだった。
住所を見ると今回の東日本大震災の被災地でもある陸前高田市となっている。
メールに目を通した。
ネットを見て問い合わせてくれたらしいのだけど、いつか地元で写真館を自分で経営し復興の礎を築いていきたいとの事だった。
会ってくれるなら士別まで来ると書いてある。
記載の電話番号に掛けてみるが繋がらなかったので、一応メールで手が空いたら電話を下さいと送ったら直ぐに電話が鳴った。
色々話を聞いてみると、街の写真館が津波で流され、館主も亡くなられてしまったとの事。
大変お世話になった方だったので、何とか自分がその写真屋さんの代わりに街の写真屋として復興させたいとの事だった。
そして今は何も手に付かずどう生きていけば良いのかも解らずにいるとの事、北海道の親戚が気分転換にしばらく療養を兼ねて遊びに来ないかと誘ってくれているらしい。
いつ北海道に来るのかを訊ねると、明日のフェリーに乗るというではないか。
思わず おい!と言ってしまった。
北海道は初めてだから一周してみたいとの事、その間にもし私の時間が空いていれば士別に来て話がしたいと考えていたらしい。
スケジュールを確認するが、月末から東京に行かなければならないし、1日から北海道大会にも出なければならない。
いきなりだけど、22日に撮影が数件入っているし、午後から婚礼の撮影も入っているのでどうだ?と話してみた。
どうしても私の撮影を生で見せてあげたかった。
その子に夢や希望を与える事が出来るなら私も本望だ。
直ぐに行かせて頂きたいです!と元気な答えが返ってきた。
私もこんな性格だ。
それに福島での撮影の時には見ず知らずの私に親切にして下さった人達が沢山居た。
これも恩返しだと思い、せっかく来るなら汚ねえ部屋で良かったら泊まりで来ても良いぞと言うと、
とても喜んでいた。
翌日は打ち合わせで旭川に行かなければならないので夕方までのお付き合いしか出来ないが、
写真を通して私に出来る精一杯の事をしたいと考えている。
ただ直ぐにうちで働いてもらう等は考えていない。
震災による心の傷は私達が考えているよりもっと深いのだ。
今回は私の撮影を見てもらい、本人がどう受け止めながら心の整理をしていけるのかを見守ってみたいと考えている。
安易に情に流されて一時で引き受ける事はさすがの私にも出来ない。
まあしかし、電話の受け答えだけでも先日のブログに書いたような状態とは大違いだった事にホッとさせられた。
誰でも始まりはゼロなのだ。
ゼロである事に何の問題も無い。
きっと彼は自分の目標を早く達成していけるだけの生きる為のエネルギーを持っていると感じた。
私は、同業の先輩からそんなに早く走っていったい何処へ行ってしまうのだろうと心配になる事があるよと言われた事がある。
ちょっと考えさせられたりもしたが、出した答えは走らない奴は何時までも走らない。
人より早く走れるのなら行ける所まで突っ走ってやろうじゃないか。
どこかでエンストを起こすかもしれないし、どこかで力尽きるかもしれない、でも殺しても死なないタイプの人間であることは間違いない。
写真にはゴールなんてないのだ。
彼の思いが本物ならうちのスタッフは簡単に追い抜かれてしまうだろうし、私はそれを逆に望んでいる。
ただ期待をする事だけはしないようにしている。
この世界はそう甘くは無いのだから・・・・・