奥山陽一のコラム

2011/05/29

ご遺体の搬送体験

 

日が明けてしまったので昨日という事になるが、うちのスタッフの御尊父様が亡くなられた。

 

本人もどうして良いか解らずにいる様子だったので、葬儀屋に勤める後輩Mに連絡をとると、仕事が終わったばかりなのに、旭川までご遺体の搬送に行ってくれるとの事だった。

 

多分M一人では色々大変だろうし、家族だけではどうする事も出来ないでいるだろうから、私が一緒に乗って行く事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

私も丁度婚礼の撮影から帰って来たばかりだったのだけど、Mに無理をお願いした分責任もある。

 

 

まもなくしてMが搬送車に乗って迎えに来た。

 

 

え??

 

後ろにはストレッチャーが一台積み込まれているのが目に入ってきた。

 

 

もしかしてこれに仏さんをそのまま乗せて運ぶの?

 

 

まじ?

 

 

乗った事を少し後悔した。

 

 

真夜中に普通に一人で乗せて帰ってくる事もしょっちゅうらしい。

 

 

色々と質問攻め。

 

 

「慣れなのかい?」

 

 

「どうでしょう、未だに慣れませんけどね。たまに気になって後ろをキョロキョロしたり、バックミラー越しに覗いたりしますよ。 しっかり運転しろって言われるかもとか、段差なんかで振動が大きな時なんかはごめんなさいって言いながら振り返ってしまいますよw」

 

 

「そりゃあ寝返り打ってたらやばいよな。多分俺なら逆に後ろなんか見ずに、ひたすら前だけ見て運転するだろうなあ」

 

 

「え?怖いものなんか無いんじゃないですか?」

 

「怖い物だらけだよ。でも人の死というもの、特に身内や自分への覚悟は出来ているつもりだから死というものが怖いというのはないかもしれないなあ。 人は生まれた瞬間から確実に死に向かって生きていかなければならない運命だからね。

一番怖いのは生きている人間、特に生きている女が一番怖いぞw」

 

 

「納得ですw」

 

 

まもなく病院に着いた。私が顔を出すと店長がビックリした顔をしている。

 

気丈な対応と表情に私のほうが驚いた。

 

この子もまた親の死に対しての覚悟が出来ていたというのだろうか・・・・

 

お母さんが、ややしばらくしてから 私の存在に気付いてビックリしていた。

 

しかしその表情は少し疲れているように思えた。

 

 

M一人では大変だろうから手伝いに来た事を告げ霊安室へ。

 

 

店長と兄妹達に先に帰って、家を片付けて敷布団を用意しておくように指示して先に帰した。

 

看護師達も手伝ってくれ搬送の準備を整えた。

 

 

ストレッチャーに乗せご遺体を車へ・・・・

 

店長のお父さんとは2、3度お会いした事はあるが、こんなに大柄な人だったろうか?

 

私は足元を持ったのだけど、何かあったら笑える話ではなくなる。

結構緊張した。

 

店長のお母さんが一緒に乗って行きたいとの事だったのでご遺体の横に座ってもらった。

 

話し掛けて良いものか、何をどう話したらいいのか言葉に悩む。

 

 

寒くないですか?

 

昨日は寝ていないのでは?

 

それ以上に掛ける言葉が見つからない・・・・

 

 

Mに他にこちらで準備するものは無いかと尋ねると、先ずはお寺さんに連絡して枕経の手配。

お寺さんがこの時間からなら多分明日の朝になると思うので、それまでにご飯と上新粉で作った団子が必要との事。

 

店長に連絡。

 

上新粉など一般の家庭にあるのか?

 

やはり無い様子。

 

Mがすかさず 「大丈夫です一応積んできました」

 

「さすが葬儀屋さん」

 

「一応仕事ですから」

 

「団子ってどう作るの?」

 

「大丈夫ちゃんと説明書きもありますから」

 

「さすが葬儀屋さんw」

 

「はいこれも仕事ですからw」

 

そうこうしているうちに自宅に到着。

 

玄関が狭く、Mが困った顔で首を傾げる。

 

「窓から入れるしかないんじゃないか?」

 

「そうですねちょっと無理がありますね」

 

家にお邪魔した。

 

ベランダから入れるしかないのだろうか?

 

ん?

 

店長に自分の部屋の荷物を片付けるように指示した。

 

車を停めた位置が丁度店長の部屋の窓の位置だったのだ。

 

「此処からしか無いだろ?」

 

「そうですね、此処が一番ベストですね」

 

「よしこの部屋に布団を敷こう!良いよな?ここが一番ベストだもの」

 

「お願いします」

 

 

私とMとでストレッチャーから一気に窓越しへ。

私が足元を外から支えている間にMが部屋へ。

 

その間ご遺体は頭半分が部屋の中へ、もう半分が外の状態。

窓のサッシの部分で身体の真ん中を支えている状態だった。

 

何とか部屋に寝かせてあげる事が出来た。

 

Mが手際よく準備を整え、衣装を着せていた。

 

流石だ。

 

ご遺体の状態からドライアイスが足りないとの事、一度会社に戻るというので、私もいつまでも居ても失礼なので最後に線香を一本あげさせて頂いて家を後にした。

 

車の中で遅くまですまないと言うと、毎日がこんな生活だそうで、時には地方まで一睡もせずに搬送する事もあるという。

 

先日は夜の9時くらいに旭川の病院から斜里まで走り、そのまま朝の4時頃士別まで戻ってきたとの事だった。

 

 

写真屋で良かった・・・・

 

 

人の死と向かい合っている人も居れば、その後のお見送りのお手伝いをする人もいる。

 

時には他人の仕事の中に入り、違う角度から何かを学ぶのも悪くはないと思った。

 

今夜はうちの店長や後輩のMが居てくれたからこのような貴重な体験をさせて頂けたのだ。

 

故人の御冥福を心からお祈りすると共に遺族の皆様の悲しみが一日も早く薄れる事を切に願う。

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