奥山陽一のコラム

2011/05/24

がんばっぺ!ふくしま 撮影の旅3

 

実は今日の午後からある人と待ち合わせをしていた。

 

ある人とは東京のA先生。

 

私の後を追って遠路遥々やって来てくれたのだ。



 

 

 到着は14時過ぎとの事、その頃に私の撮影している場所までタクシーで走るというが、この業界を代表する大御所にそんな事はさせられない・・・・・

 

 

とりあえず午前中はレンタカーで昨日と反対方向の海岸線を走り、小名浜、豊間を回ってA先生が来るまで下見をしておこうと思った。

 

道のり的には豊間、小名浜なのだけど、先に小名浜港まで車を走らせた。

ここもいわき駅から車で30分位の場所だった。

 

世界中の船が行き来するだけあってその敷地は途轍もなく広大な面積を有している。

 

しかし何処の入り口にも警備員が立っていて中には入れない状態だった。

 

港から数百メートル離れた所を並行している道路を走ると反対側に位置する街並みが酷い状態である事が確認できた。

少し先を行くとどの信号機も点いていない状態が続く。

 

防風壁が倒され、その間から船や瓦礫が見えた。

 

港入り口.jpg

 

車も停められそうなので、そこに車を停めて港に向って歩いた。

手前に線路が有ったのだけど、所々砂や砂利を被り、良く見るとあちこち歪んでしまっている。

 

港と防風壁の間の道路にはコンクリートの破片や電信柱が倒れている状態のままだった。

 

線路.jpg

 

 

 

電信柱.jpg

 

更に進むとボートが何隻も重なり合うように打ち上げられていた。

いったいどうやったらこんな状態になるのだろう・・・・

 

 

 

 

船の山.jpg

 

 

撮影していると港で働いている感じの人に話し掛けられた。

 

「お兄さんどっから来たの?」

 

 

「北海道から来ました」

 

 

「これどうよ?半端じゃねえっぺよ! 街の中さ見てきたか?」

 

 

「いいえ、まだですけど、途中凄い状態なのは見えました」

 

 

「行ってみれ、半端じゃねぇから。 小名浜にはソープランドも沢山有るけんど開店休業だぁ!www」

 

 

「海からかなり離れてますよね?それでもそんなに酷いですか?」

 

 

「半端じゃねえってば、先ずは行ってみれ。うんでオラの変わりに風呂で遊んでいってや。腹が減ったら飯食うとこも沢山有るから美味いもの沢山食ってってよwww」

 

おっちゃんは豪快に笑いながら去っていった。

 

その豪快さに写真を撮らせて欲しいとお願いする事をすっかり忘れていた。

 

その後言われるままに街の方に移動してみた。

 

港側に面した商店街は悲惨な状態だった。

 

一本中に入ってみると所々に津波の爪痕が残っていた。

 

その奥に、おっちゃんが言っていたソープランドが幾つか並んでいて、店の前には呼び込みらしき人達が立ち話をしていた。

 

ゆっくりと街並みの様子を伺いながら通り過ぎようとすると、一軒のお店の前に居たオバチャンが駆寄って来た。

 

 

「いかがですか?今日も元気に営業しておりますよ~」

 

 

もちろん昼間の時間で、それもまだ12時前だ。

 

 

 

「撮影で来てるもんでごめんなさい」

 

「お仕事?取材?それならうちの女の子を取材してってよ。被災地で頑張って女達なんてどう?w」

 

 

うんそれはおもしろい!でもその話には乗れない。

北海道から撮影に来た趣旨を説明した。

 

 

「いやあ嬉しいなあ~、ちょっと待ってて」

 

 

オバチャンは店の中に入っていき、またすぐに出てきた。

 

 

「お兄さん良い男だから、これ差し入れ!飲みながら走んなさいよ。なんなら女の子は着かないけどお風呂だけでも使ってって良いよw」

 

 

ペットボトルのお茶を差し出してくれた。

こんな状況なのに・・・・・

人の温かさに触れ胸が熱くなった。

 

また今度違う形でこの街に遊びに来ますと御礼を言って後にした。

 

せっかくなので昼食はこの街で済ませようと思い、街の中をグルリと一周。

 

さすが港町、寿司屋があちこちにあるのだけど、どこも車がいっぱいで店の中も満員御礼状態。

 

他の食堂やお弁当屋さんも人がビッチリ。

 

良く見ると作業服姿の人達が多かった。

 

残念だけど諦めて港の方に戻り、次の目的地まで走ろうかと思っていると、市場が目に入ってきた。

 

やはり何処も店は閉まった状態で、中には津波の影響でシャッターがめくれている状態のお店もあった。

 

ようやっと一軒だけ営業している店を見つけ、中の様子を伺おうとすると、オバチャンが出てきて笑顔で 「どうぞ寄っていってください」と声を掛けてくれた。

 

店内は結構混んでいて、カウンターで食事をとったのだけど忙しそうにしているので話し掛ける事は出来なかった。

 

食事を済ませ、豊間に車を走らせた。

 

海岸線を走ると街並みが見えてきた。

 

 

しかしそこはもはや街とは言えない状態だった。

 

道幅も狭く、右手の海沿いに堤防が繋がり、道路を挟んで左手には住宅街があり、もろに津波の影響を受けてしまっている。

 

車を停めるスペースを見つけるとその向こうからおばあちゃんがゆっくりと私の方に向って歩いてくる。

 

話し掛けようか迷っていると目が合った。

 

軽く会釈をすると 「写真撮るならもう少し先に行けば橋が落っこちてるから行ってみろ」と声を掛けててくれた。

 

そこから1時間近く色んな話をしてくれた。

話を聞いてあげる事も心のケアとして必要な事だと聞かされていたので二人で堤防に腰掛て黙って相槌を打ちながら聞いていた。

 

地震が納まった後に近所の人が逃げろ逃げろと大騒ぎしていたそうで、何を騒いでいるのかと思って外に出てみると沖の方に山が見え、とうとうボケてしまったのかと思ったそうだ。

 

同時に近所の人が車に乗るように言うのでドアを開けて乗り込もうとした瞬間に津波に足をとられて流されてしまったらしい。

 

どうやって助かったのかと聞いてみると、津波は四回押し寄せて、その第一波はそうでもない勢いだったらしく、丁度お墓が有る所だったので摑まって助かったらしい。

運良くその車も無事で、再び乗り込み、高台に逃げることが出来たそうだ。

 

しかし、そこから見る光景は60年以上この街に住んでいて台風等で荒れ狂う海を何度も見ているが、比べ物にならないくらい恐ろしいものだったらしい。

引き波の際には相当奥の方まで海底が剥き出しになるくらいで、それが一気に山のような高さで戻ってきたらしい。

 

おばあちゃんが言うには四回目の波が一番高く、一気に街を飲み込んだと言っていた。

 

家は大丈夫だったのかと訪ねると、お墓の裏に住んでいた為に床上浸水程度で助かったらしい。

それまでは家の裏にお墓が有るのは嫌だと思っていたが、そのお墓が守ってくれたと思うと毎日手を併せずにはいられないと話してくれた。

 

 

そして、原発についても話してくれた。

 

 

原発の恩恵を受けた街は今まで良い思いをしてきたかもしれない。

でも自分達は何の恩恵も受ける事もなく、電気は皆東京に送られ、更には海の魚をダメにされ漁も出来なくなってしまった。

誰にどう怒りをぶつけて良いのか解らないと・・・・・

 

その他にも海の話を沢山してくれた。

 

 

最後に写真を一枚撮らせて欲しいとお願いすると、ニコッと照れながら近くから撮らずに遠くからなら良いよと言ってくれた。

出来ればアップで写したかったけど無理にお願いすには気が引けて、海を眺めたりゆっくりと歩き出す姿を撮らせてもらった。

逆にその方が雰囲気があって良かったかもしれない。

 

ばあちゃん2.jpg

 

 

ばあちゃん1.jpg

 

おばあちゃんに御礼を言い、握手をしてその場を後にした。

 

A先生が駅に着く時間も迫ってきたので、そこから先の撮影は先生と合流してからすることにした。

 

普段他人とすれ違う事には何の意識も無いが、此処では全てが違う。

全く見ず知らずの人とすれ違うにも互いに会釈をし合いながら通り過ぎる。

時には車の運転しながら街の様子を伺っていると、通りすがりの家の中の人と目が合っただけで向こうから会釈をしてくれる人も居る。

 

なんとも不思議な気持にさせられるが、これが本来の人と人とのあるべき姿なのかもしれないと思うと色々と考え深いものがある・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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