奥山陽一のコラム

2011/01/30

祝い

 

先日JCのOB、S君が社長に就任したという事でお祝いの宴に出席してきた。

会場にはS君の現役時代の時にお世話になった近しい先輩達と、現役メンバーが数人。

私も在籍中6、7年一緒に活動し、彼より2年先に卒業。

 



 

会場には懐かしい顔ぶれが集まり、話題は現役時代の話ばかり。

今の現役メンバーからは想像も出来ないくらいの凄まじさだったのを思い出す。

 

何せ会議ではすんなりと通る事業計画書など無いのだ。

一つの事業計画に対して、殴り合いが始まるのではないだろうかと言うくらいの勢いで

議論しあう。

 

潰し合うのではなく、どうしたらその事業が上手くいくのかということの議論を重ねる。

 

一番は事業計画書を提出する委員長の思いが何処までのものかを試されるのだ。

多少のつっこみで答弁出来ないような計画なら出してくるな!

という感じですぐに差し戻しである。

 

街づくり人づくりを前提とし、一つの事業に対してどれだけの情熱を持って取り組むのか。

たかがJCの理事会で伝える事が出来ないものなら外に出て広めていく事など不可能ではないだろうか。

それはJCを離れて自分の会社に戻ったとしても全く同じである。

 

そんな思いで熱く議論をし、様々な意見を交わしながら形にしていく。

その代わり審議を受け、やると決まれば全員でやり遂げる。

 

そんな厳しくも楽しかった時代を一緒に活動してきた仲間が集まるのだから盛り上がるのも当然。

 

なにせ何かに言い訳をつけては集まりたがる人達ばかりで、その頃のメンバーに何かあれば祝いと称して集まる事にしている。

私が社長に就任した時も盛大に祝ってもらったが、その後2人位が社長就任となったきり、久々の祝いとなった。

 

会でのお決まりは、祝いのスピーチ、お祝いの品の贈呈・・・・

 

一人づつ本人にお祝いの言葉を掛けるのだけど、何故か本人との思い出話を語り、おめでとうで終わるのがパターンになってしまっている。

多分昔は二代目が多く、年齢的にもまだ社長に就任する人も少なく、40歳までの現役時代に

社長になったのは私も含め数人しかいなく、期待感や尊敬的な部分でスピーチされていた様に感じるが、今ではその殆どが社長業を務めているのと、やはり年齢なのだろうか卒業して日が経つ先輩ほど懐かしい話に花が咲く。

 

解らなくもない。

 

そして注目はお祝いの品の贈呈。

 

これが担当者によって大きく変わってくる。

 

私の記憶に有るのが、近しいところではタヌキの置物、土瓶と続き、贈呈後にはウンチクが語られる。

それなりに意味合いのある物が贈られていた。

 

ところが・・・・・

 

私の前の先輩の時から担当者が変わり、その時には夜の街のお風呂で使われている黄金に輝く

「スケベ椅子」が贈られた。

大爆笑だった。

 

そして私の時には・・・・

 

やっぱり・・・・

 

薄々想像はしていたが・・・・・

 

同じ流れで、ソープマット+ローション+大人の〇〇だった。

 

これも大爆笑だったが、流石の私も降参だった。

 

今でも膨らませたままオブジェとして放置してある。

 

そんな話も話題に上がり、 先日消防の検査で置いてある場所の扉を開けた検査員がビックリして目を丸くしていたから、また悪い噂が広まるんだろうなと思いながらも言い訳のアドリブも思い浮かばなかったと話すと大爆笑だった。

 

今回は担当者が変わり、皆の期待を裏切り、木彫りの飾り物等だったのもあり、私と先輩の頂いたお祝いが尚更話題となったのだ。

 

その後お酒もすすみ更に盛り上がる中、現役で参加したメンバーが4人程居たのだが、当時を知らないメンバーは目を丸くして固まったままだった。

 

二次会の席で、去年の理事長をやって、普段から色々と付き合いのあるK君と話す時間があったのだけど、私が彼に対してJCでやっている事の意味合いが違うというのを身を持って感じたらしい。

当時の理事会の話を周りの先輩達からも聞かせられ、この日の盛り上がり方も現役時代そのままで何も変わってはいない。

現役メンバーには今の自分達との違いを目の辺りにして生の良い教材となったかもしれない。

 

メンバーが減少していく中、会員の拡大を一生懸命謳っていたが、私は人の数ではなくやる気の数の問題だとK君に話した。

それは私が先輩達から教えられた事でもある。

たかが理事会で自分の意志表現も出来ないレベルの人間をいくら増やしたところでどうしょうもない話で終わってしまう。

それよりも先にそれくらいのレベルの人間は本来入会も出来なかったのもJCなのだ。

人が少ないから寄せ集めては、組織そのものも、自分達のレベルも下がる一方なのだ。

 

そんな事を話すとKは、自分が入った時のJCしか知らないからそれが当たり前と思ってきたし、逆にそうさせてきたのは先輩達の責任も多少あるのではとの事。

 

それも正論である。

 

では、それまで培ってきたOBとの交流会や、礼儀の有様はどうか?

それを排除しようとしたのは現役メンバーの礼儀の無さではないか。

礼儀は教えられてやるものでもなく、結局はこんにちはも言えない子供と同じレベルか?と言われればそのレベルを寄せ集めただけではないか?

そのレベルが社会に出て大人の喧嘩をしたところで俺一人でもメンバー全員相手しても負ける気がしない。

そんな話をすると、頷くしかないよなと笑っていた。

 

ほら、当時の理事会を味わえたじゃんという感じだった。

 

こんな小さな話でも徹底的に議論するのがJCだったり仲間になっていく事のコミニュケーションの一つでもあるのだと思う。

 

私達だけではなく、酔っ払ったメンバーがあちこちでこんな会話をしながら楽しそうに熱く語り合っていた。

 

三次会に流れ、殆どのメンバーがヘロヘロになって消えていった。

士別JCでは担当の委員長と委員会メンバーは参加してくれたメンバーがいる間は帰れない。

理事長も尚更帰れないのだ。

それはどこも同じだし、本来企業でも当たり前かもしれない。

 

その流れそのものになった。

 

主役のS君もヘロヘロだけど、主催者側の先輩が次に行くぞというのだから帰れない。

 

店に入るなりタクシーに乗って帰った先輩を主催した先輩が電話で呼び戻す。

 

間もなくするとその先輩が苦笑いしながら戻ってきた。

 

家の前まで辿り着いたのにそのままUターンしてきたらしい。

高くついたドライブだと笑っていた。

 

まあこれもJCのノリだからしょうがない。

 

それを見ていたK君に、担当の委員長がツラーっとした顔で帰ったり、まして理事長が頑張ってくれたメンバーを残して先に帰るなんてありえない話だぞ!と肩を叩くと返す言葉も無く口をあんぐりさせていた。

 

まあこれはJCじゃなくてもそんな礼儀はもう通用しないのかもしれない。

 

私も自分の師匠が帰るぞというまでは何処に連れて行かれるのかも解らずにひたすら着いて歩いたし、周りの先輩達もそうだったのでそれが当たり前の世界だと思っていた。

 

それは企業で考えても同じではないだろうか。

 

そんなこんなで楽しい宴も無事終わり、締めの焼肉に流れる前に先輩をタクシーに押し込んで強制的にお開きにした。

こういう役柄が出来る冷静な人間も必要なのだ。

何せこの日の私は一滴もアルコールが入っていないのだから・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥山陽一のコラム
このページの一番上へ