奥山陽一のコラム

2010/11/23

心の充実

 

今夜はこの時間までとても充実した時間を過せた。

 

自分の作品の先生と3時間半程話をさせて頂いた。

 

多少受話器を当てていた耳が痛くなったけど、背筋を伸ばし、タバコも吸わず話に集中した。



 

え?っと思う人もいるかもしれないが、顔の見えない電話口であっても電話の向こう側の態度など

手に取るように伝わってくるものである。

 

一生懸命に成れば成るほどに気配というものは敏感に伝わってくるものだ。

 

そしてそういうところに本当の人柄も見えてくるものだと思う。

 

もちろん向こう側にいる先生がお酒を飲みながら私の相手をしてくれるなどというのは、全然構わないし、私としては本音を聞かせてもらうにはどんどん呑んで下さいと思ってしまうし、こちらも本音に入る頃合を掴むには逆に呑んで口が滑らかになってくれている方が話しやすいときもある。

 

逆に私の先生は、仮に教え子の私にでも、自分の仕事の事や何かの相談がある時には、早い時間帯に電話をくれたり、何かをしながら話をするなんて事は一切無い人なのです。

 

そこが写真の心根の大切な部分だと教えられてきました。

 

もちろんそういう事の積み重ねが、人から学んだり、技術を盗む事に対して誰よりも早く理解を示したり、吸収できる事に繋がっているものだと思っている。

 

実際に私は自分の先生のお宅にお邪魔すると、家族の方達と冗談を言いながら話をしたり、一緒に食事をしたりもするが、そんな和やかな雰囲気の中でも、いざ先生が作品の事について真顔で口を開くと正座をしながら聞いてしまう。

 

それはマニュアルが有る訳でも何でもない事で、亡き清水に作品を見て頂いていた頃からずっと変わらない自分の姿勢なのである。

 

というか当たり前だと思ってきた。

 

まあ今の若い人達の集まっているお粗末な組織には、そんな礼儀もクソも有ったもんじゃないのが多いのだけど、教わる側が腕まくりにあぐらをかいて・・・・

 

まあ講師で来るのも同じ組織から来る人間ばかりだからそんな事気にせずに仲間って良いな。

みたいなノリで、ワイワイやっている。

 

結局同類でしかない。

 

それを叱る人間も少なくなってしまったし、それを見ている更に若い人達も結局は同じになっていく。

 

私からすれば、頼む!これ以上北海道にバカな写真屋を増やさないでくれと本気で思っている。

 

まあ今夜の先生との話でも、そんな話から始まり盛り上がったのだけど、やはり写真の話しかないのだ。

 

先生は明日60歳を迎えるそうで、誕生日を境にもう一度スタジオのライティングと型物について勉強すると目標を決めているらしく、来年の早いうちに静岡から御夫婦で来る予定との事。

私のスタジオで営業写真のライティング講習をやってくれという話になった。

 

今年の秋口にもそのような話が有ったのだけど、色々と重なって話が保留になっていて、電話はそのお詫びも兼ねていたようだが、この話は私にとっては大変光栄な話であり誇りに思う反面、私が20代の頃から作品の心根の部分を教えて頂いてきて、現在国画会の審査委員長まで務めている大先生なのだから、おこがましく教えるだなんて気持の欠片も持てるわけも無く、逆にプレッシャーの何物でもない。

 

逆に教え子の私に、自分の弱点を曝け出し、教えて欲しいと言える人間の器を感じる。

 

思い出せば、亡き清水も生前晩年の頃、自分のプリントを何枚も並べ私に本音で感想を聞かせて欲しいと言っていたのを思い出す。

私も本音で自分の感じるままに言わせて頂いた。

それが私に出来る恩返しだとも考えた。

不思議と緊張も無く、素直な気持で、感じたままの感想が言えた。

その感想は決して良い感想ではなく、老いていく身には厳しい言葉だったかもしれないが、私の中ではいつまでも頑固な鋼の心のままの師であって欲しいという願いそのものだった。

感想を聞かせてくれということは、まだまだ作品を作り続けたいという気持の現われだとも思ったし、私を選んで本音を語ってくれたのだから、本音で応えるのが礼儀であり恩義だと考えていた。

 

その後、私も作品の事で色々と話を聞かせて頂いた。

 

そこの話になると先生も、ちょっと飲みながらでも良いか?と言いながら美味しそうにゴクリと喉を鳴らした。

前段で書いたとおりだった。

晩酌の時間など当に過ぎていただろうに・・・・

 

写真の業界だけではなく、人としてこういう礼儀に尽くせる人が少なくなってきている。

 

写真を真似るというのは心根を真似る事からだと思う。

 

作品の話をしながら頭の中にどんどん作品が沸いてくる自分がいました。

 

先生は私が士別に来て、土地柄なかなか作品になるようなヌードを撮ることが出来ずに悩んでいる事も充分に解ってくれている。

決して撮る事を押し付けてこない。

その代わりトコトン頭と心に絵を浮かべ描く事を教えてくれる。

一時のチャンスでもあれば一気にアクセルを吹かせばいい。

お前にはそれが出来るセンスがあるから大丈夫だといつも慰めてくれます。

 

だから尚更この道からそれる事が出来ないのです。

 

出口の無いトンネル。

ゴールの無い世界。

 

作品の話は尽きません、朝まで語り明かしても疲れないのが不思議です。

でも、その道に生きる人達は皆同じ事を言います。

 

今夜は久しぶりに充実した時間を過させて頂きました。

 

感謝感謝!

 

ちなみに私の2人の先生は遊びも豪快だったけど、遊びの中に必ず作品が存在していた。

この遊びの部分だけは2人の先生を超える事が出来たかもしれない 笑

 

 

 

 

 

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