奥山陽一のコラム

2010/10/24

教える事、教わる事

 

先日和装の講習をしに稚内に行ってきました。

 

伝える事は難しく、教わる側の何倍ものエネルギーを要するという事を昔から聞いていましたが、

この頃何度か講習会をしているうちにそれがなんとなく解るようになってきました。



 

 

講演の講師等をやる時は自分の考え等を伝えるというよりは一方的に聞いてもらうという感じだけど、実践で講習をしたりする場合、周りの目線が全て自分の指先にまで集まり、更には背後からの気配をビンビンに感じる。

 

 

ゴルゴ13の気持がよく解る。

 

 

私も和装のポーズ付けが苦手でずっと学ぶ側の人間だったのだけど、自分一人でマネキン等に着せて練習したりするのならマイペースでゆっくりと出来るのだけど、自分の師匠や先輩にお願いをして実践で教えて頂く場合はマイペースというわけにはいかず、更には全てを盗むつもりでピリピリになるくらいに緊張感を持って食いつく位に集中したのを思い出す。

 

自分で練習している時と少しでも違う動きがあれば、ちょっと待った!!と言いながら動きを止めていただき、質問したり、自分でやって見せて何処がダメなのかをその場その場で聞き通した。

 

 

限られた時間の中で、絶対に覚えてやろうと必死だった。

 

 

今思えば私に教えて下さった皆さんは出来の悪い奴で本当に大変だったと思います。

 

 

だからこそ一人に戻っても、毎日の練習は欠かさなかった。

誰の為でもないし、スタジオに戻っても一人なのだけど、そこには教えてくださった方々がしっかりと記憶の残像と共に存在していた。

 

着物を捌きながら、教えてくれた人の口調を真似てブツブツと独り言のように繰り返しながら苦手な箇所を何度も何度もやり直す。

 

これが私のミラーニューロンの始まりだったのかもしれない。

 

お陰さまで、私の亡くなった師匠、清水正之のモノマネをやらせたら右に出るものはいない。

 

完璧過ぎる自分が怖いwww

 

しかしながら、肝心の和装の方はまだまだ真似事にも及ばないと、あっちの世から睨まれている気がしてならないのは気のせいだろうか・・・・・

 

でも、和装を扱う時には清水との会話を思い出しながら、イタコの世界に入る自分が居るのは間違いない。

技術だけではなく、一緒に過した20年の時間ごと、その教えを思い出しながら自分の身体を動かす。

 

九州の坂本栄先生のポーズ着けはよ~、チラッと足が歩き出す瞬間のように上手く見せるんだよな~、あれは俺でもまだ難しくて真似できんよ。  そんな言葉を思い出すと、当時の坂本先生の和装の写真集を思い浮かべながら自己流で挑戦してみる。

 

自分なりの解釈の中で、歩き出す瞬間 という言葉をキーワードに色々やってみる。

 

そういう事の積み重ねがいつか清水流から奥山流になっていく事だと考えているのだ。

 

 

死んじまった師匠を追い抜く事は出来ないが、それ以上の世界を作る事は出来ると信じている。

 

それが、俺は俺であり続けたいというところなのかもしれない。

 

でも、今はデジタルの時代、上辺だけの和装の形は職業柄やらざるを得ずにやっているけど、本当に上辺だけの写真屋だらけになってしまった。

若い人達はデジタルに関しての知識レベルは非常高く、写真屋同士の集まりでも私なんかは異国の地に来たのかと思ってしまうほどだ。

 

しかし!

 

その知識と、出来上がった写真のレベルは反比例していてはしょうがないではないか?

 

昔、写真学校を出て、うちに修行にきた人が居たが、専門用語の羅列に疲れて一言・・・・

 

俺はフイルムの入れ方も知らないけど、お前の写真には負けない。

出来たものが全てだバカたれ! と・・・・・

 

知識が豊富になれば人に聞く事に対してプライドが許さなくなる事が多い。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生のなんとやら・・・

 

私は逆に自分が多少知っている事でも、何にも解らないふりをして聞きまくる事がある? 

こいつ何にも知らないんだなあ くらいに思われている方が人は教えやすくなるものだ。

 

うちに来る人達も自分で商売をされていて売り上げなんかは私の何倍もあるような人達が沢山居るが、ここまで来る以上その熱心さには頭が下がるような人達も多い。

逆に私の不得意な分野があれば(特にデジタル)恥ずかしさなど何も無い、今すぐ聞きたい、今すぐ教えてくれ、今すぐ出来るようにならなければと考えてしまうので、頭を下げてでも教えを請うようにしている。

 

そういえば北見のF君辺りは何度私に深いため息を着いていた事だろう  笑

 

でも彼が今生きているのも私のお陰なのだからそれで良いのだ ギャハハハ

 

 

教わる側の礼儀しだいで人との関わりも変ってくるし、写真そのものが変ってくるものだと考える。

 

私は聞くは一時の恥だとも何とも思っちゃいない。

 

聞ける人が居る事が幸せな事ではないか・・・・・・

 

 

まあそんな思いとは逆行して、稚内の講習・・・・・

 

凄く遠くの方にスタッフの視線を感じた。

 

稚内の店長が前にブログか何かで必死ってなんだ?みたいな事をかいていたけど、成る程なあって思った。

 

そりゃあ字に書けば必ず死ぬと書くが、安心してくれ!チミたちは死にましぇーん!

 

いやいや、立ち上がれなくなるくらいそれこそ必死にやって頂きたいと思った。

 

今まで何度かこういう勉強会を開いたが、今回は一番必死さが伝わって来なかった。

 

これが出来なきゃ飯が食えないと言っているのだけど、実感は無いのかもしれない。

 

いやきっと、私が伝わらない講習をしてしまったのかもしれないとも思っている。

 

モデルさんをお願いし、夜中の3時までお付き合い頂いた。

もちろん些少だが御礼も差し上げている。

本来であれば、仕事としてやって頂く事なので、講習が終われば支払いをしてお見送りをすれば良いだけの話なのだが、申し訳無さ過ぎて翌日に食事にも招待した。

 

私も少なからずエネルギーを注いでいるのだ。

できれば終わった後はゆっくりさせてもらいたいし、早めに帰路に着きたいと思うくらいにヘトヘトになっているのである。

 

でも、スタッフの対応や表情を見る限り、モデルさんに申し訳ないという気持が先に立ち、打ち上げと称して一席設けることにした。

 

これも接客と思っているので、どういう態度で第三者を招くのかも見たかった。

 

モデルさんになってくれた子は昨年成人で来店してくれたらしく、更には医療関係に従事しているとの事、今後どこでどう繋がっていくか解らない。

 

良い広告塔になってくれるかもしれないし、逆に呆れられてしまうかもしれない。

 

食事の席でも気を遣っているのは私だけ。

 

とうとう我慢できずに、スタッフに向かって口を開いてしまった。

 

おもてなしの心、接客・・・・・

 

彼女の労をねぎらっての食事会なのに、スタッフの方が疲れ果てた顔をしてボーっとしている。

何度も、どうした?随分皆おとなしいね とか、昨日の講習の話題とか何とかって自分達で感想を聞くとか、黙っていたら彼女も困り果てて黙ってしまっているじゃないか。 と私なりの合図を送っているのだけど・・・・

 

彼女との会話の中で、働いている病院の院長先生が以前に士別に住んでいたことがあり、そのお子さんの写真を私が写したという事が発覚した。

 

へえ、世間は狭いね、どこで繋がるか解らないね等と言いながらも私は内心ビクビクだった。

 

何年くらい前だろう? どんな写真を写したのだろう? 正直不安だった。

 

病院の中で、院長先生がその時の写真を看護師さん達にも見せていたという。

 

ヒョエー勘弁してくれー!

 

幸いにして、それを見た看護師さんの一人が、今度士別に写しに行こうかなと言ってくれたそうで、そんなにレベルの低い写真をお渡ししたんじゃないのかと思うと少しホッとした。

 

でも、その会話からまたまた私の怒りに触れる言葉が・・・・

 

冗談で、ドンドン宣伝して士別にお客様を送り込んでくれと言う話の中で、稚内のお客さんどんどん士別に引っ張ろうかな?と店長に言うと、 社長がそう思うなら良いんじゃないですかと・・・・

 

プチッ!

 

テーブルをバン!! てめえよ~~~!!

 

 

とはやらなかった 笑

 

いや隣にお客さんが座っていなければ・・・・・

 

いやいや でもきっと今の私はやらない。

 

怒る前に私が伝えたい事が伝わらないのだから、これも私の勉強だと思って考える方が私自身の成長になるのだと考えられるようになった。

 

そういえば、うちの海彦にも怒鳴りつける事が少なくなってきたかもしれない、諦めたと言う方が早いのか 笑

いやいや、そういう事でもない。

 

自分で痛い目に遭ったり、恥をかけば良いだけの話なのだ。

 

先日ブログに書いた海彦の駄菓子の話。

 

周りの人から笑えるとウケていた。

 

でも、私からすればウケる為に書いたわけではなく、本人がどう気付くのかを見たくて書いているのだ。

 

ただ公の場に曝け出すのだから、私なりの優しさで笑い話のように書いているだけで、内心はどうやって息の根を止めてやろうかと考えているのだ。

 

稚内のスタッフに関しても悔しければやれば良いだけの話なのだ。

この世界、やった分だけ形として残る世界なのだから、良い形を見せてくれれば言葉にしなくても充分にその努力の全てが写真に現れるのだ。

 

写真は写心、 人の心を写すと言うが、私からすれば写真屋の写真はカメラマンの心が写ってしまう写心の方だと思っている。

 

稚内の店長の一年前の写真には、カメラマンの自己満足と、我の全てが写り込んでいた。

それを何度も指摘してきたが、この頃微かにお客様が先に見えてきたが、まだまだカメラマンの押し売り的な気配を感じてしまう。

 

まあそれに気付いて撮影できるカメラマンも少ないのだけど、それでは真の感動をお客様と共感する事は出来ないだろう・・・・・・

 

彼女に連絡を取っているのはスタッフ。

 

私はお酒は飲めるのか聞くように伝えた。

逸早く場所を決め、飲めるのなら車を置いてくるように伝える。

 

私は食事の後にそのまま皆を送って真っ直ぐ士別に帰ろうと思っていたのだけど、ダラダラと仕事をしながら、お客さんを招くような姿勢では無いと感じ、場所的にも帰りは代行で帰らせれば良いと考え、約束の時間に間に合わないから其々車で現地に向かうように命じた。

 

この辺から考えがズレている。

 

彼女を上座に座らせた。

 

飲み物の注文・・・・ ウーロン茶、ウーロン茶

彼女は・・・・・・    ・・・・じゃあ・・・・ウーロン茶で

 

申し訳ないので、私が自ら酒を注文した。

乾杯だけのお付き合いではなく、彼女の雰囲気からの注文だった。

 

スタッフ達には彼女が飲みづらくなるから、皆で代行で帰るように即すが空気が読めないらしい。

 

さすがに彼女も二杯目からはお酒に切り替えた。

話を聞けばかなり強い様子。

 

空気を読めよなあ・・・・

 

私も居酒屋さんでは一杯だけ飲んで、あとはお茶に切り替え、二次会に備えるのがいつものパターン。

まあそこからが長いのだけど・・・w

 

彼女の為に悩みつつも二杯目を頼んだ。

 

飲酒運転・・・・

 

ニャハハ 

 

トイレに行くついでに、梅サワーの中身をお酒抜きにして欲しいとこっそり厨房でお願いしておりましたwww

 

これ以上シラケさせたくはないではないか。

 

私はお猪口一杯でも顔が赤くなる。

人の何倍も飲んでるようにも見えるし、都合よく酔っ払いのフリをするのも得意だ。

それで彼女が次を頼みやすくなってくれるなら良いではないか?

 

スタッフにはおもてなしの心が足りないと話した。

 

きっと経験が無いのだろう、モデルの彼女もスタッフと同じ21歳ということもあり、今後の勉強になればと、人前で身内の話をするのは嫌いだが、彼女の前であえて話をした。

 

接待するなら、お客様の食の好みをさり気なく聞き出したり、場所の選択を考えたり、情報を得る事が大切だと話した。

スタッフの為、私の為に食事をしようとセッティングしたのでは無い。

おまけに今回は、私達の仕事に僅かな時間だが携わって協力してくれた一番の功労者なのだ。

 

彼女の方に気を遣わせてどうする!?

 

そこだけはどうしても許せなかったが、そういう経験が無ければどうして良いのか解らないのも理解できる。

 

だから自分の修行時代の話をしたり、ここは俺に合わせて振舞えという合図を送っているのだけど・・・

 

届かなかった・・・・・

 

いや、言葉で伝えても行動に表すことはしなかったのが現実であり、それが一人一人の力量でもあり、会社自体のレベルでしかないのだと自分自身で反省するしかなかった。

 

会話の中で、彼女の職場での飲み会のあとには必ずカラオケに行くと聞いたので、私が居ない方が話しやすいかもしれないし、女同士の方が盛り上がるだろうと考え、 たまにはゆっくり遊んでおいでと言ってその場をあとにした。

 

内心、きっとそのまま解散だろうから、わざとに小遣いでも置いていこうかとか色々考えたが、それをしたところで私のそいう心までは理解出来ないだろうと思い、そのまま帰路に着いた。

 

出来ない人間は、出来ないなりに徹底的に演じ通す事から行動に移せば良い。

それがいつか演じるのではなく、自然と自分の力となり、お客様にお返しできるのだと思う。

 

全てはモノマネから。

 

行動あるのみ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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