2010/02/22
チャレンジャー
昨年からスタジオのライティングをちょこちょこと変えながらカメラの前で腕組をしてしまう事が多い。
今日も従業員達が帰ったあとからマネキンを置いて光と睨めっこしていた。
何がっていうわけじゃない。
でもここじゃない。
ぅううん・・・・・
頭の中にチラっ チラっと映像が浮かんでは消える。
写真とは光と影の世界。
今まで技術的なコンテスト等では23年間ずっと入選を果たしてきたけど、でもそこは自分の求めている自分の居場所でも戦いの場所でもない。
もし仮に25年連続入選を果たしたら足を洗おうと決めている。
19歳で初出品。
いきなり新人賞を頂いた。
新人賞とはいってもその当時の受賞者の年齢は30代~40代が平均で、19歳で新人賞というのは北海道では最年少の受賞記録であり未だに破られてはいない。
その時、まぐれだろうと言われた一言が悔しくて自分の気持ちに火を着けた。
冗談じゃない、皆が寝てる間でも必死に作り続けたんだぞ!
来年も獲ってやろうじゃねえか!
翌年は優秀賞を頂いた。
最優秀賞の次だから2位ということになる。
自分でもビックリしたけど、それこそ まぐれだと思った。
その時は出品作品が例年より少なかったからだと言われた。
大手を振って喜ぶ事なのに喜べない自分がいた。
上等だよ!来年も獲ってやろうじゃねえか!!
翌年も獲った。
その翌年も また翌年も・・・
北海道グランプリも3度獲ったし自由作品では日本のトップレベルの大会にも出品出来るようにもなった。
いつの間にか まぐれが本物じゃないかと噂され、そのうちに私が入選する事が当たり前のように思われるようになった。
今では家族にも従業員にも おめでとうとも言われなくなってしまった。
価値観がなくなってしまっているのだろうか??? 自分が入選することが当たり前であり普通の事に思われているらしく、グリコのお菓子におまけが付いていて当たり前みたいな感じらしい。
何十年やっていても一生獲れない人は獲れないのだ。
まして一昔前は今の大御所達も現役バリバリで、勉強会ではつかみ合いの喧嘩が始まるのではないだろうかというくらいの勢いで戦っていたのだ。
そんなコンテストも大御所達が徐々に高齢で亡くなってしまったり、自然とコンテストから離れていったり、次第に若い層の人達が競い合うようになってきた。
コンテストだから出品された作品に中から選ばれるのだけど、いつの間にか質が悪くなってきている気がしてたまらなくなった。
100点の作品が出品されるとすれば嫌でもその100点の中からしか審査しようがない。
質が下がっていても逆に皆同じレベルに見えてしまい、それが落とし穴に繋がっていることに誰も気付かないでいる。
審査員も大御所から次第に年齢が下がってきている為に、型物と呼ばれる大切な歴史や文化を重んじる人間が少なくなってきたような気がする。
写真館の売り上げに繋がるような軽い作品がポンポンと選ばれるようになってきた。
心根を問うような見る目のある先生方が少なくなってしまった。
私自身もこの数年そこに甘えていた様な気がする。
もし昔の様に熱く戦えるような大会ならそんな甘えもなく、もっとピリピリとしながら大会に挑んでいるかもしれない。
実際私が凄いのではなく、私を蹴落とすくらいの若い作家が現れないだけなのだ。
たまあに普段見掛けないような作品が出てくると、ワイドショー並みに騒ぎ立てられる作家もいるけど、心根がずれている場合3年もあれば見切る事が出来るものだ。
その気になればいつでもその作品と同じような物は作れるし、心根が勝ればそれ以上の表現も出来てしまうのだ。
人の作風や作品描写は光を見切ればいくらでも撮れるけど、私の作品は私にしか撮れない。
そんな風に言える作家になってみたいものです。
25年連続入選を果たしたら足を洗う・・・・
じゃあその後は・・・・
のんびりと縁側でお茶でもすすりながら・・・・・・
そんなわけないだろう~~~~!
ちゃんと新たな目標があるのです。
新たな戦いの場が待っているのです。
4月に東京で審査会があるのでそこに出品することに決めました。
決めたは良いけど作品がありませ~~~~~~~~~ん ;
過去の作品から20点提出しなければいけないのですけど、その20点のバランスが難しいのです。
出品の仕方、見せ方を上手くやらなければ日本のトップクラスには通じません。
昨年からの作品を漁ってみても、勝負出来る20点には程遠いのです。
一枚でも良いから突破口を見出すだけの光と影を操りたいのです・・・・・
久しぶりに熱くなったり、悩んだり、葛藤しています。
でも久しぶりにワクワクしたり、感覚が鋭くなってきたり、想像力が高まってきます。
チャンピオンよりチャレンジャーであり続けたい。
今夜も徹夜です・・・・・ きっと明日も・・・・・・・