2010/01/21
ナレーションの録音 和寒高校にて
今日は和寒高校にお邪魔して来ました。
三月で閉校が決まっているのだけど、その閉校式の式典に向けて着々と準備が進んでいるようです。
長年に渡り卒業アルバムに携わらせて頂いてきた事もあり、和寒高校の閉校は
私にとっても寂しく感じます。
今回学校側から相談を受け、式典の中で和寒高校のあゆみを映像で流す事になり、
スライドショーを作成する事となりました。
先生方が写真や資料作りを担当し、生徒達がナレーションを担当します。
昨年から担当の先生が細かくタイムテーブルの中で次第やセリフを考え、それを生徒一人づつに
読んでもらって声を録音するという事になり、授業の都合上、今日と明日の二日間に渡っての
収録となりました。
打ち合わせの段階では生徒達が読み上げる事に結構難が有るのではないかという話もしておりました。
でも私はプロじゃないんだし、生徒に求めるものは違うところにあるのではと話をしていました。
そんな話の中で私も3年間生徒達を見てきているので、収録の際にどのように彼らの能力を最大限に引き出そうかと色々考えてみたりもしていました。
今は便利な時代、多少の事はパソコンや編集でごまかす事もできます。
でも私が判断した基準は、上手さや完璧なものを求めるのではなく、今のまま、ありのままを残す事にしました。
例えば初心者のギターを弾く人が居たとして、まだまだきちんとした音色も出せない下手くそな段階でも、今の時代パソコン等で簡単にごまかす事が出来ます。
写真の世界も似たようなもんです。
私は生れて初めてスタジオで写した頃の写真を今でも大切に残してあります。
面白いもので23年間ずっとコンテスト等で入選を果たしてきていますが、私自身が残しておきたい作品が殆ど存在しないのです。
写した時、出来上がった時には「これは良いぞ!最高じゃん!」なんて気持ちになったりもするのですが、じっと見直すと欠点が次から次へと見えてきます。
人間は後悔する生き物。
「あちゃあ、もっとここをこうすれば良かった、あれ?どうしてここに気付かなかったのかな?」
そんな事を思うと、昨日写した写真も自分にとっては遠い過去のような存在になってしまうのです。
話は戻りますが、その一番最初の一枚。
今でもたまあに見る事があります。
「酷い写真だなあ」 「俺ってこんな下手くそな写真をお客様に偉そうな顔して渡してたのかなあ」反省ばかり・・・
でも、その頃のファイルを見ると下手くそなんだけどもっと写真を楽しんでいたし、今の何倍も想像に満ち溢れていたし、上手いとか下手とかそんなもの関係なく、訳も解らずに必死に食らい付いて我武者羅だった自分を思い出します。
人の目なんか関係なく、もっと生きる事や写真そのものをを楽しんでいたはず・・・・もっと頑張らなきゃ。 なんて気になったりもします。
ギターの話もそうです。
初めの音をありのままに残すべきだと私は考えます。
便利と豊かさは違うのです。
そんなこんなで、今回は17や18歳の頃の自分達の「今」を形を残してもらいたくて、そのままの肉声で収録させてもらう事にしました。
全校生徒8人。
少人数ではありますが、少人数だからこそ出来る事が沢山あると感じています。
いざ本番・・・
一人づつマイクの前に座って自分の担当するナレーションを読み出します。
何度もつまづきながらNGを出す子もいました。
一発でOKの子もいます。
NGを連発する子には「大丈夫!一発OKなんて有り得ないんだから、言葉を大切にしながらもっとゆっくり声を出してみようか?練習練習!・・・・・おお良いじゃん!練習と思ったけどバッチリだからこれを使わせてもらうね」とか、「うまく喋る事なんか考えなくて良いよ、その代わりもう少し元気な声でいってみようか?」など、一人一人に対して必要な部分だけ声を掛けるようにしながら収録させて頂きました。
一発OKを出す子にはとにかく褒めて、一発で録らせてもらった事への感謝の言葉を掛けました。
そしてもう少し自然とレベルを高めるようにして声を掛け次に進ませました。
一人で何箇所かを担当するのですが、一気に全部を進むのではなく、代わる代わる収録していくようにしました。
そうする事で皆気持ちに変化が現れ、自ら進歩したいと欲が出てくると考えたからです。
皆、私が思った以上にドンドン上達していくのがハッキリと解りました。
若いうちは吸収も早いし、自分自身をチェンジする事が出来るのです。
年を経ていけば行くほどにそのチェンジが難しくなっていく。
私もまだまだチェンジが出来る人間で有りたいと感じました。
今日一日、学生さん達から沢山のパワーを頂いたような気がします。