奥山陽一のコラム

2009/09/20

遺影写真 今を生きる事の大切さ

 

明けてしまったので昨日になるが、以前百日で撮影させて頂いたお客様が、二人目のお子様の百日記念と、上のお兄ちゃんの七五三の撮影に、おじいちゃんおばあちゃんも一緒に来てくださった。

更に御予約の際におじいちゃんの写真も一緒に撮影したいとのこと・・・

 



 

従業員が電話で御予約を受けていたので、雰囲気を掴みきれていなかった。

自分で電話を受ける時はお客様の声の様子で色んな事を考え、写真と結びつけているのだけど、

今回はご来店されてからシチュエーションを考える事にした。

私達の仕事は、いらっしゃいませの瞬間からスタジオに立って頂くまでの僅かな時間の中でお客様の雰囲気を捉えて絵を考えなければならない。

ある意味占い師みたいなものでもあります。

 

百日の撮影が無事に終わり、お兄ちゃんの七五三の着付けをしている間に、おじいちゃんの撮影を

する事に・・・・おじいちゃんと言っても、赤ちゃんの母親の年齢から見ればまだまだお若いので、

おじいちゃんと呼ぶには恐縮してしまう。

 

撮影に入る前に雰囲気を掴み取る為に話しかけようとすると、御主人の方から話しかけてきてくれた。

 

病気を患い、大きな手術をしなくてはいけないので今のうちに写真を残しておきたいとのこと。

 

 

もう62歳ですからねえ・・・・

 

普段なら何言ってるんですかまだ62歳ではないですか、まだまだこれからですよ!と言っただろう。

でも何故か言葉が出てこなかった。

 

背景セットも色々あるのだが、このご主人には 白 か 黒 写真の原点の中で写したいと考えた。    

普段は立ち姿から始めて、色々な角度やポーズを考えていくのだけど、 立っているのも辛いという事だったので椅子に座って頂き、余り難しいポーズを付けずに撮影させて頂こうと考えた。

 

最初はシンプルに白い背景から写し始め、手探り状態でシャッターを押した。

笑って頂くべきかどうか、構図を考えるともっと斜めのラインを作りたいが動かすべきかどうか、色んな事が頭を過ぎったが、この写真を残す意味を考えると、写真屋の勝手な作画を押し付けてはいけないと深く考えさせられた。

 

何年か後、何十年か後に今日撮影をさせて頂いたお孫さん達に見てもらえるように自然な優しい顔で写させて頂きたいと思い、御主人の存在を大きなものにしたくて黒の背景に変えさせて頂いた。

 

黒い背景は光の扱い等、非常に難しい。

光のバランスやカメラマンの技量次第で、人物がグッと引き立つ事もあれば、中途半端な気持ちで扱えば黒の中に溶け込んでしまいお粗末な出来になってしまう。

 

久々に感覚が鋭くなっているのが自分でも解るが、それを決してお客様に見せるわけにはいかない。

 

軽くポーズを付けさせて頂こうと近付くと、ご主人から色んな気を感じた。

何か心に響くものがあったのだろう、それが何かは解らないが今を必死に生きている生命の気みたいなものを感じて、目頭が熱くなった。

 

咄嗟に私の斜め横に座ってご主人を見つめている奥様の方に顔を向けて頂いた。

 

 

とても緊張されていたので、表情を和らげたり、奥様を見つめながら微笑んでいる表情を狙いたかったのもあるが、写真は思い出として残るが、私は写されている時間もその人にとって思い出の一コマであると考えている。

奥様と見詰め合っている時間は私の存在も消し去る事が出来る時間である。

 

何枚かシャッターをきり、手応えを感じて撮影を終えさせていただいた。

 

その後、七五三の写真を撮らせていただいている最中、自然光の光がお孫さんを見つめているご主人を包んでいて、椅子に腰掛けている姿がとても良い感じに見えた。

 

私が今できる事・・・・

 

七五三を終えて、もう一度御主人にカメラを向けた。

 

自然光の中で何枚かシャッターを切らせて頂き、撮影を終わらせた。

 

この仕事に携わっていると、いろんな命に出会う。

 

どの命にもそれぞれの役割があり、それぞれが輝いている。

 

誰にも言わずにいたが、私の母は今癌と戦っている。

私を捨てて出て行った人だけど、不思議と恨むような気持ちになったこともない。

そんな母から電話をもらい、最後に会いたいと言われたが首を縦にも横にも振ることが出来ず、

医者が手術しろというのだから、まだ生きるって事だろうから、とっとと手術しろ!と言って電話を切った。

 

私は死というものにある程度の覚悟は出来ている。

大切な人を亡くしたり、色々な死を見つめ続けてきた。

自分の死も親や身内の死にも覚悟しているつもりです。

 

人はオギャ-と生まれた瞬間から死に向かって歩み始める運命をもっています。

その道のりをどう生きるかが生きている者の使命なのかもしれません。

 

考え深い一日でした。

 

会いに行ってみようかな・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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