奥山陽一のコラム

2008/12/27

VIPの写真を目にして・・・

 

先日貴重な写真を見せて頂く機会があり、一枚一枚和紙に包まれながら大切に保管されている

その写真を見て、久々に背筋がゾクゾクした。



皇室の貴重な記念写真を写したものだった。

天皇陛下はもちろん皇室ファミリーが勢ぞろい。

申し訳ないが別に写っている皇族にゾクゾクした訳ではない。

 

それを写した人に対してゾクゾクしたのです。

 

昔から写真館では定番の型物と呼ばれる普通の写真。

でもそれが普通ではないのだ。

 

背筋をピンと伸ばして御行儀良く・・・でも何かが違う。

写真の出来はモデル8割腕2割の世界と言っても良いくらい。

確かに写っている被写体の人格のせいでもあるのだろうけど、写しているカメラマンの人格は

相当なものだと感じた。

 

なんとも言えない空気感、頭の先から足の先、更には手の指先の一本づつにまで繊細に気配りを

しつつ、ポーズが着いているはずなのに、着けている事を感じさせない自然の流れ。

何処の写真館でも男性には膝の上で軽く拳を握らせるし、私も型物の場合はそうしてきた。

でも、そこに写されている写真には「握る」という行為は写っていない。

やはり「流れ」なのだ。

なんとも言えない空気感の中で、清流がゆっくりと流れるような美しい捌きの流れ・・・

 

これは人格でもあり年輪でもあるのだと感じました。

 

それにどの写真も柔らかな光のトーンで、ピントがきちんと合っているのに紗を一枚掛けたようなソフトな仕上がり・・・現代の誰もがシャープで綺麗に撮れるカメラでは表現できない世界だった。

私も全国各地で多くの写真を見てきたつもりだが、ここまで卓越された写真を見たことが無い。

私は私独特の表現をしてきたし、早くから既存の写真館が学ぶことが無い作品の世界にも足を踏み入れてきた。

若いうちにしか出来ない発想や想像を若いうちに身に着けたかった。

何かの取材の時に、有る程度の年齢に達すると発想も想像力も乏しくなるものだから、尚更若いうちに色々な事に挑戦してきたし、自分がこの世界で恐れるものは無いけど、恐れるとするなら老いて行く事だと話したことがある。

 

でも、人格や年輪を重ねなければ写せない表現もあるのだと気付かされました。

自分の新たな目標が見えてきたような気がします。

 

自分の写真を見つめ直し、発想や想像の世界を若い今のうちに突き進みながら、この写真の世界で

良い年のとりかたが出来るようになりたいものだと思います。

 

人は何時何処からでも変われると信じています。

目標を持って挑戦し続ける事で何かに気付き、何かが見えてくるのかもしれません。

 

残念な事にこの写真を撮られた方は数年前にお亡くなりになられたそうで、生きている内に一度で良いからお目に掛かってみたかったです。

 

デジタルの時代に入り、写真をやる者の心根までもが腐敗しつつあるこの業界です。

でも、どんな時代になろうとも写真に対する心根の部分だけは大切にしたいと思います。

 

 

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